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「セミリタイア」とか「二拠点生活」に意味を求めはじめてる

2019.01.28

最終更新日:2019年03月06日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

今の状態、「セミリタイア」とか「二拠点生活」って、何らかの意味を求めて始めたことではなかったはずなのですよ。なんとなく、自分が心地いい状態を選択したらこうなったはずなのですが、いつの間にか、そこに意味を求め始めちゃうもんなんですね。

自分の人生に役立たせようとするんでしょうね

僕はフリーランスのWebデザイナー。年齢は50代半ば。新規案件の受注を停止し、セミリタイア生活に入っています。
また、東京と山口県萩市を行ったり来たりの二拠点生活もはじめました。

「セミリタイア」も「二拠点生活」も、すぐさま何かの役に立つことではないのですよ。
もちろん、インプットが変わってくるので、ほっとけばそのうちアウトプットに影響が出ることは間違いないのですが、それ自体に何か意味を持たせて「セミリタイア」や「二拠点生活」について、語りはじめるようなことでもなかったはずだったのです。

おそらく、こうしてブログを書いているからでしょうね。
どうしても「セミリタイア」をしていること、「二拠点生活」を始めた自分に、意味を見出そうとしてしまうのですよ。

もともとは「この人生の転機を淡々と記録しておこう」という趣旨で書き始めたブログだったのですが、無意味だったはずのことに、どうにかこうにか意味を見出して記事にしようとしているのです。

もともとは「セミリタイア」生活をはじめることが最初で、それに付帯する形で「二拠点生活」を開始したので、以前から「セミリタイア」について、書いている記事が多いのですよ。
(参考:「セミリタイア」タグを付けられた記事の一覧|萩ドットライフ

過去の記事を振り返ってみると、最初の頃は、セミリタイアは自分の生活を変えるための方法であって、決して目的だと認識していなかったんですよね。

それが、ブログ記事にしていくことで、だんだんと「自分の人生にとって役立つこと」にしたくなってきたのかもしれません。
どこかで「セミリタイア」「二拠点生活」によって、得られるものを探し始めちゃってるんでしょうね。

仕事としての行為じゃないから、意図的に「趣味」という言葉を用いてみたのです

仕事から距離を置く。しばらく離れるためにはどうしよう? と考えてとった行動だったはずなのですが、いつの間にか、そういう仕事をしているような錯覚に陥っているような気がしてきています。

以前『「生産的な趣味」の時間を確保するためにセミリタイアしようとしてる』という記事を投稿していますが、明らかにかつては、仕事から離れる意思を持っていたのですけどね。

同時に「職業人としての寿命を伸ばすためのセミリタイア」みたいなことも、随所に書いているので、もともと矛盾を孕んだ考え方だったりもします。

ずっと、自分で考えていたり、書いたりしていながら、ずっとこの矛盾を感じ続けているのですよ。
たぶん今日のこの文章、あとから読み返すと、さっぱり意味のわからないものに仕上がっていることだろうと思います。

偶然、検索エンジンでこのページにたどり着いた方にとっては「クソ記事」になっているはずなのです。

おそらく、僕は「ムダなこと」をしたいのですよ。意図的なムダは、自分の中に余白を作ってくれると思っているのですね。
余白とは、たとえば思考の余地や、行動するときのアソビみたいなものですね。
そういうものを再確認して、自分自身で保有し直すことで、もう一度新しいことを始められるし、それが職業人としての寿命を伸ばすことに繋がってくれると思っているのです。

「セミリタイア」も「二拠点生活」も、そのための手段にすぎないのですよ。「ちょっと場を変えるか」みたいな感じなのです。

だけども「セミリタイアしたし、二拠点生活も始めた。さあ、ムダなことをするぞ!」みたいな発想をすること自体が、ムダから遠ざかることなのですよね。

このあたりのニュアンスが、全然上手に言語化できないところが、すごくモヤモヤしてるのです。

「変わらなきゃ」というパラドックス

「50代半ばになって、ずっとクライアントワークし続けるのにもバテてきたし、とはいえ、まだまだ生産活動は楽しみ続けたいし、なんか今、人生の転換期っぽいな」
「自分から積極的に変わってみるか」

みたいなことが、いろんなことの始まりだったのですよ。
それが次第に「ユルまなきゃ」「環境を変えなきゃ」「変わらなきゃ」みたいな、ちょっと自分に対する強制みたいなニュアンスが生まれてきちゃってるんですよね。

自分の人生に「役立てよう」としちゃってるんですよ。
すごく前のめりに、答えを求めてる感じなんですよね。

もともとは、ゆるやかな「問い」だったはずなのですよ。
ムダな時間を過ごしながら、ゆっくりと「問い」と向き合えば、だんだんと答えを自分の中でこさえることができるのだろうという物語の、今が始まりだったはずなのです。

とりあえずは、定期的に「そういやオレ、ムダなことをやろうとしてたんだったよな」と思い出すことにします。
ほっとけば勝手に「意味のあること」「役立つこと」ばかりを考えようとしちゃうので…。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。