follow hagi.life

田舎で楽な仕事を作ろう

2019.05.30

こんにちは、萩ドットライフ()です。

田舎を舐めてるわけでも、仕事を舐めてるわけでもないのですよ。「楽」という言葉も「怠けたい」とか「サボりたい」よりも、むしろ「疲れない」「疲れさせない」ような意味合いで使っています。セミリタイア生活をしつつ、素の自分に回帰したいのです。

僕はセミリタイア生活を始めているのですが、「セミリタイア」って明確な定義のない言葉で、状況によったり気分によったり、場面々々でどうにでも変化できるようなものだと思うのです。
今の僕にとっては、仕事量が激減しだんだんと無職に近づいている状態であり、東京と山口県萩市の二拠点生活をしていることが「セミリタイア」なのです。

僕は現在、50代半ばなのですが「あと20年は、セミリタイア生活を続けることになるな」と感じています。
ずっと生活の中に「労働」を残しておきたいのですよ。

このブログでも、何度か「生産的な趣味」という言葉を用いて、これからの労働との向かい合い方を記録していますが、今回はもう少し気分的な切り口で考えてみたいのです。

「飾らず、肩の力を抜いて、自分も周囲の人も疲れさせない」感じで働けるといいな、と考えているのです。

[田舎で]:生まれた街限定だと思います

田舎に移り住んで、農業&DIYをやりつつ暮らすって昔からある典型的なセミリタイアのパターンですよね。
ネット上でも情報が多い老後の暮らし方のように思います。
僕は現在、月の半分近くを山口県萩市で暮らしていますので、なんとなく様子はわかります。

「つまんない」し、「不便」なのですよ。ただ、目に見える風景が変わるだけで、気分は変わります。
いわゆる「ムラ社会」みたいなものは、まだうまく理解できていませんが、僕の行動範囲に限っては、どうにでもなりそうな気がしています。

自分が生まれた街だからこそ許容できる部分って多いのですよ。
そしてこのブログの全記事の末尾を『生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。』で締めているように、山口県萩市へ移住することが、セミリタイア生活を始めた動機だったのですから、「少々気に入らないことがあっても、許容するしかないわな」という気分になっているのです。

このブログを開設した直後(1年程度前)に『セミリタイアの概念を「田舎を拠点にする」にしようかと思ってる』という記事を投稿していますし、今でもそう思っていますので「セミリタイア=田舎に住む」は、今のところ僕の中で定着している考え方なのです。

完全なる「疲れない環境」なんてどこにも存在しないのですよ。
都市部と田舎では、おそらくチカラの入れどころが違うのだろうと思います。

東京から田舎に移住して、最初のうちは「のんびししていいところだな」と感じていても、そのうち「だから田舎もんは…」などといい始めることになるはずなのです。
そんなとき「ま、自分もこの街の生まれなんだから、しょうがねえわな」という逃げ道があったほうが気楽だと考えているのです。

かれこれ40年近く東京(もしくは周辺)で過ごしてきた僕にとって、「疲れない場所」が、田舎であり、生まれた街である山口県萩市なのです。「素(す)」でいられる街なのです。

[楽な仕事を]:成長を諦めたわけではないのです

目指しているのは「疲れない仕事」なのです。
過去にも、

という記事を投稿していますが、まずはクライアントワーク(請負仕事)から離れるつもりでいます。
そして、自分が興味をもっていることや、過去にやり残してきたことに取り組んで、その中から仕事を作り出したいのですよ。
「リタイアしようと思えばいつでもできる。でも、これやってるのが楽しいんだよ」という状態でいたいのです。
(参考:老後は仕事を「生産的な趣味」に移行しよう

20年以上、フリーランスのデザイナーを生業にしてきました。
クライアントもしくは広告代理店からの発注があり、それを請けることで仕事が発生するという生活をずっと続けてきたのです。
当然、自分が考えたことがすべて通るわけでもありませんし、自分を飾ったり偽ったりしながら、ポジションを獲得していくことも多々ありました。

「そろそろ素で、自分の好きなことしたいな」というフェーズなのですよ。
もしかしたら、そうすることによって僕が作るもののレベルは低下するかもしれませんが、「疲れない」「疲れさせない」ものに向かって行けるような気がするのです。

これは決して「もう、成長しなくていいや」という諦めではないのですよ。

たとえば僕たちデザイナーは「引き出し」という言葉をよく使います。
アイデアやスキルを常にいくつか準備しておいて、求められる場面で、次々と「これはどう?」「こんなのもアリじゃない?」と出せると、仕事がスムーズに進みますよ、というものです。

これまで続けてきた「クライアントに寄り添うロールプレイ」に、「自分自身が快適さを感じられる身の置きかた」を加えることは「引き出し」を増やす作業であり、これもまた成長だと思うのです。

[作ろう]:フリーランスにとって仕事は「作る」ものなのです

フリーランスは、仕事を作り出せないと死にます。
もちろん、クライアントや代理店が「これ、やりません?」と持ってくることが多いので、自分が作り出してる感覚はだんだんと薄れていきます。
あるフェーズから、仕事をすることが、次の仕事を作り出すことになるのですね。

仕事を作ることって「自分の必要性」を作ることなのですよ。

僕が「疲れない場所」に身を置き、僕が「疲れない仕事」に取り組むことは、僕の周りの人を「疲れさせない」環境を作ることになると思うのです。
まずは、僕自身が快適さを追求することで、周りの人も快適にする空間が生まれると思うのですよ。
それは決して、物理的な空間だけのことではなくて、こうして今書いているブログの記事に表れたり、これから作ろうとしている何かにも影響があると考えています。

どうしても「仕事」を中心に語ることが多いのですが、本質は「生活」「暮らし」なのですよ。

冒頭で述べたとおり、「あと20年は、セミリタイア生活を続けることになるな」と感じています。
その定義は何度も変わることになるのでしょうが、しばらくは「疲れない」「疲れさせない」をキーワードにしておこうと思います。

これまでの職業人生、無理をすることを「是」としてきた部分があります。「無理の利くオレ、能力高い」と。
そんな感じにバテてるのですよ。素の自分に回帰する場面なのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。