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落ち着いて静かな街で、想うこと

2019.10.31

こんにちは、萩ドットライフ()です。

萩は落ち着いていて静かな街だなあ、と思っています。「競技場」だと考えていた東京から逃れる場でもあり、景色から受ける印象も合わさってそう感じるのです。この街のマイナスの部分を、どこかしらで自分なりのプラスに置き換えているようにも感じます。

環境の変化と、風景と

おそらく印象の大部分は「思い込み」と「連想」なのだろうと思うのですが、萩の作業場にいるときには「この街は落ち着いていて静かだな、そこがいい」と感じています。

築40年を超える軽量鉄骨住宅の1室を作業場として使っています。すぐ近くに交差点があるような立地なので、現実はさほど「静か」な環境ではないのです。
東京の作業場の方が、RC造かつすべての開口部はペアガラス、幹線道路から少し奥まったところに立地するので、よっぽど静かなのです。

それでも「落ち着いて静かな街だな」と感じるのは、僕にとって「競技場の外」という感覚があるからなのだろうと思っています。

ずっと東京で暮らしながら、絶えず何かしらの競争に参加していたような感覚でした。

特に、フリーランスになってからは「落ち着いて」「静かな」状態にあることが、なんだか社会から取り残されたような、よくないことであるかのような感じを持っていたのです。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと

40代くらいまでは「競争疲れ」を、心地良いものとして感じていましたが、50歳を超えたあたりから、どんどん苦痛になってきていて、逃れる先を探していたのですよ。

それで、まずはリモートワークできる体制を作り、東京と山口県萩市を行ったり来たりする二拠点生活を開始したのです。

結局、同時に「セミリタイアしよう。まずは無職になって長期休暇を取ろう」という作戦も開始したので、「リモートワーク+二拠点生活」は、わずか1年間で終わり、今月から「無職+二拠点生活」がスタートしています。

昨日投稿した「無職は気楽でいいね。旧い習慣が消えました」でも、

僕はもともと、さほど「自然の中で暮らしたい」とか「いつまでも、川のせせらぎを聞いていたい」といった欲求がなく、利便性至上主義だったはずなのですが、次第に萩への移住熱が高まってきています。

当然、加齢も影響しているのでしょうが、二拠点生活を習慣化し、定期的に生活環境を変えることで、僕自身が変わってきてる証拠だろうと思っています。

と書いているように、二拠点生活をはじめて、定期的に萩で暮らすようになって「田舎で暮らしたいな」という思いつきだったものが、欲求に変わり、今では「萩への移住」が、やることリストに入っています。

僕にとって、競争する場ではないことが「落ち着いて静かな街」だと強く認識できる要因なのですよ。
これに関しては、特に萩市である必要はないんですけどね…。

もうひとつは空港から車で移動してくる途中の風景ですね。
ずっと、山を抜け、湖の畔を走り、川を渡り、ときどき集落を目にしながら萩市内に入っていく体験が「落ち着いて静かなところに移動してきたな」という気分を盛り上げてくれるのですよ。

そして、萩の作業場の窓から見える風景、朝ラン中の風景、ちょっと買物に出かけるときに目に入る風景。
目に入る、あらゆる景色が「落ち着いてるな」「静かだな」と感じさせてくれるのです。

落ち着いて静かな街の需要

僕には朝ランの習慣があります。
先日投稿した「朝の時間の使い方。東京と萩でちょっと変わるのです」でも触れたように、当然、萩で生活しているときも走っているのです。

けれども、あまり若い人を見かけないのですよ。

散歩中の老人とはすれ違うのですが、20代〜50代くらいの、いわゆる現役世代の方とすれ違うことは、あまりありません。
日本海の海岸沿いなんて、きちんと歩車分離されているし、良いランニングコースなんですけどね。

統計データを見れば分かるのですが、街全体が老いているのですよ。

萩市だけに限った話ではなく、東京を含め日本全体がそっちの方向に進んでいるのですよね。
少子高齢化は、いま一番大きな社会問題ですもんね。

ただ、その傾向が「風景」として現れているのが、萩市を始めたとした地方(=田舎)なのだろうと思うのです。

僕はそれを「落ち着いて静かな街、よき」と受け取っているのです。

自分自身が50代半ばになり、苛烈な競争の真っ只中に身を置くことがイヤになったということもありますが、加齢とともに心地よいと感じるものが変わってきたのは確かですね。

「大人の〇〇」的なものに興味を持ち始めているような自覚はあります。
「熟成」とか「趣のある」みたいな言葉で語られる、あれやこれやでしょうかね。

案外、そういうものを求めて、行動に移そうとしている人って多いんじゃないでしょうかね?

これまで、定年まで同じ会社に勤めて、退職後はローンの終わった家で年金を受給しながら暮らす、というのが人生のモデルケースでした。

それが、ここのところ終身雇用も崩れ始めてるようだし、ネット上で「セミリタイア」という文言を目にする機会が増えているように感じます。
10年前と比べて「リモートワーク」を実現する環境も段違いに整備されてきたように思います。

​だんだんと、場所に縛られない働き方・生き方を実践する人が増えてきているような感じを受けるのですよ。
なんとなく「田舎暮らし特集」みたいな記事が多くなってきている気もしますしね。

「落ち着いて静かな街」が、それなりの需要を持ち始めるんじゃないかと思っているのです。

僕自身が「セミリタイア」を始めちゃったし「田舎で暮らすぞ」と予定しているから、そういう事象に目が行きやすくなっているだけなのかもしれません、認知バイアスってやつですね。

「落ち着いて静かな街」は「不便で工夫を求められる街」

「落ち着いて静かな街」であることは、そこに問題を孕んでいるということでもあるのですよ。
上に書いた「競争から逃れられる場」「人影少ない街」どちらも活気のなさの現れなのです。

どうしても、今後の発展が期待できない様子が窺えてしまうのです。

さらに人口は減るし、輪をかけて年寄ばっかりになるし…。
税収が減るから、過去に作ったインフラを改修できなかったり、災害対策が疎かにならざるを得なかったり。
問題は山積みなのだろうな、と推測するのです。

とはいえ、僕が何か行動することで、地方の自治体が抱える問題をスパっと解決できるはずもなく、僕は僕なりに「この街を楽しんでいるオッサン」になりたいと思っているのです。

個人レベルで、あらゆる問題と向き合う過程で、いろんな価値やアイデアが産まれると楽しいんだろうなあと思っています。

「落ち着いて静かな街」は「不便で工夫を求められる街」でもあるのですよ。

もうちょっと知力と体力が残っている間に「落ち着いて」「静かな」環境に身を置きながら、「不便さを楽しみに変え」「工夫して遊びながら」暮らしてみたいと思っています。

たぶんこれは「元気で、騒がしくて、疲れる」環境では、なかなかできないことだと思うのです。
「都会か、田舎か」は対立概念ではなく、人生のそれぞれの場面に応じて上手く使いこなして、掛け算になるといいなと思うのです。

これまでは「東京でフリーのデザイナーをやってるのが楽しい」と思っていましたが、これからは「萩でなんかモノをこさえるオッサンになるのが楽しい…かも」と思い始めています。

不安で足がすくんで立ち止まるよりは、好奇心で前に進み続けたいと考えているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。