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無職は気楽でいいね。旧い習慣が消えました

2019.10.30

こんにちは、萩ドットライフ()です。

無職になると、仕事関係の人と絡まなくてよくなるのが気楽でいいですね。なんだか旧い習慣を吐き出すことができたような快適さがあります。そのうちまた、新しい習慣で埋めることになるのでしょうが、しばらくは気楽なままでいたいと思っています。

仕事関係の他人が、アタマから消える快適さ

先日「無職はつらいね。まだ1ヶ月目だけど」という記事を投稿したばかりなのですが、今回は「無職って気楽でいいね」というお話を。
なんだか、矛盾しているようでもありますが、そんなものなのですよ。どこをどう捉えるかによって、考え方は変わるのです。

無職というのは、文字通り仕事をしていない状態のことなので、仕事上の悩みがゼロになるのですよ。

「クライアントからの指示。その真意は」とか「いま進んでる方向性って、〇〇さん嫌いなはずなんだよなあ」「そろそろキャンペーンやりたがってるかも、スタンバイしとくか」みたいなことを一切考えなくなるのです。

今はまだ「なんだかサミシイな」と「お気楽でいいな」という感情が共存しているのですが、時間の経過とともに、そんなことすら感じなくなるのでしょうね。

相対的に、ひとりで向かい合うべき悩み、

みたいなことと向き合う時間は増すのですが、相手がいないことなので気楽っちゃあ気楽なのですよ。

しかも、僕の場合すでに自分で自分の背中を押しちゃってますから「そのうち答えが出るだろう?」くらいの感じです。

とにかく、クライアントや中間業者のことを考えなくて済み、干渉もされなくなるというだけで「なんだか、ものすごく気楽になったな」という気がしているのです。

決して「嫌いだったヤツらが、目の前からいなくなって快適」だという意味ではないのですよ。

20年以上もフリーランスのデザイナーを続けてきた50代半ばのオッサンなので、気に入らないヤツをどうにかこうにか視界から消し去る、もしくは重要視しなくて済む仕事の進め方くらいは、そもそもできていたのですよ。

フリーランスにとって、地雷回避能力は生死を分けますからね。
失敗して、罠に足を絡め取られるようなことも皆無ではありませんでしたけど…。

僕の周りにはむしろ、絡んでいて心地良い人たちが多かったのですよ。
だから50代になっても現場にいられたのです。

それでも、彼らのことを考えなくて済み、干渉されないことは「気楽」なのです。
もちろん「サミシイ」とのグラデーションであることは、繰り返しておきます。

習慣と環境を作り変えるフェーズ

このブログ内で繰り返し書いているように、僕は今が転機だと思っているのです。
今の状況を変えたいし、次に取り組むことを考え続けたいのですよ。

以前「習慣が変わると、人生が変わる」という記事を投稿しているように、ちょうど今が習慣と環境を作り変えるフェーズだと思っています。

だから、あまり他人に干渉されたくないのですよ。
「仕事関係の人」が意識を占有しているシェアって高くて、そこがなくって自分と向き合う時間を増やせることがなによりも快適なのです。

この1年間くらい、特に何の意味もなく二拠点生活をしています。
東京と山口県萩市を行ったり来たりして生活しているのです。

もともと萩で生まれ育って、大学進学を機に東京へ出て40年近く経ちますので、二拠点生活を始めたころはSNSなどで「帰ってきたよ」などと伝えていたのですが、意にそぐわないコミュニティが形成されそうだったので、今は実名SNSに居場所を掲載することをしていません。
(参考:友達じゃないヤツが友達ヅラしてくるからフェードアウトを試行中

萩は観光地で、いろんな見どころがあるのですが、萩に移動するたびに観光地を巡ったりもしません。

当然、東京にいるときも「今、東京だよ」とは、特に誰にも伝えていませんし、「せっかく東京にいるのだから、どこどこへ行こう」とも思いません。

本当に何の意味もなく、二拠点で普通の生活をしているだけなのです。

もちろん両拠点の違いはあります。
買物やゴミ出し、ちょっとした移動が便利なのは明らかに東京ですし、昨日投稿した「朝の時間の使い方。東京と萩でちょっと変わるのです」でも触れたように、朝ランが爽快で自然の存在を強く感じるのは萩です。

僕はもともと、さほど「自然の中で暮らしたい」とか「いつまでも、川のせせらぎを聞いていたい」といった欲求がなく、利便性至上主義だったはずなのですが、次第に萩への移住熱が高まってきています。

当然、加齢も影響しているのでしょうが、二拠点生活を習慣化し、定期的に生活環境を変えることで、僕自身が変わってきてる証拠だろうと思っています。

「何の意味もなく二拠点生活をしています」と書きましたが撤回します。
意味、ありました。

ブレークポイントを作らないと、行動は始まらない

僕は、メンドくさがりだし、怠け者なのですよ。
無理やりにでも「二拠点生活」とか「無職」といった環境の変化を作らないと、物事が前に進まないのです。

「ガンバルぞっ!」では続かないのです。

以前『「50代無職」のススメ』という記事を投稿したことがあります。

ずっと気持ちの中では、

  • 人生100年時代だし、ここらできちんと休んで仕切り直さないとな
  • 20年後くらいまで労働による収益が欲しい、職業を作り直さないと
  • 人生の一時期、農林漁村生活してみたい

みたいなことを思いついていながら、なかなか行動に移せなかったのですよ。

どうしても「今の仕事との折り合いを付けながら、少しずつ状況を変化させよう」と思ってしまうのですね。
僕の場合、それでは何も変わりませんでした。

結局、それも「習慣と環境」の影響なのですよね。
同じ環境で、同じ習慣を繰り返していては、何も変わるはずがないのです。

どこかでブレークポイントを作ろうと、まずは長期休暇を取ることを目標にしました。
数週間単位ではなく、少なくとも1年間。その間に、環境と習慣を作り直そうと考えたのですよ。

「そう考えると、無職にならないと長期休暇なんて取れない」「決めた、無職になろう」と、2・3年がかりで取り組むつもりで無職を目指したのです。

もちろん「今月いっぱいで引退します、後任探してください」という手もあったのですが、そのへんは僕なりの職業人としての矜持がありますから「受け持ち案件はすべて、クローズまで責任を持ちます」ということにしました。

「ちょっと仕事量を減らしたいので、セーブします」って、言葉にすることはかんたんでも、なかなか現状には反映されないのですよ。実際に「どうしても、ご指名で…」などと言われると断りにくいですからね。
「無職になって1年以上休みます。以降、新規案件は断ってください」という言い方をしてはじめて状況が変わり始めました。

現時点で無職生活ひと月程度ですが、「仕事関係の他人のことを考える」という習慣を捨てることができました。
同時に「スタンバイしておく」という無駄な時間の使い方もしなくなりました。

意識と時間に「空き」ができたのです。

そのうち、その空きを別のもので埋めようとするのだろうと思います。それが何なのかは、まだ把握できていませんが、しばらくは無職の気楽さを楽しみたいと思います。
今は、長期休暇中なのですから。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。