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慣れてしまうことへの抵抗

2019.12.02

こんにちは、萩ドットライフ()です。

同じことや、最初から結果が見えている毎日が延々と続くのがイヤな性格なのだろうと思います。慣れてしまうことに対して抵抗を感じるのです。萩の古民家で暮らしたいと思っているのも、東京のマンション暮らしの慣れを回避するための行動なのです。

自転車に乗って、懐かしい街をグルっと回ってみた

だんだんと「もうそろそろ二拠点生活を終えてもいいかな」と思い始めています。

1年ちょっと前くらいから、東京と山口県萩市を行ったり来たりする生活をしているのです。

このブログのタイトルが「萩ドットライフ」であるように、キャッチフレーズが「山口県萩市でセミリタイア生活」であるように、もともとは自分が生まれた街・山口県萩市に再移住して、そこを次の人生の拠点にしようと考えていたのです。

二拠点生活はモラトリアム(先延ばし)期間ですね。
すぐに行動する勇気がなかったり、東京での便利な生活に未練があったり…。

今、僕は自分で「萩の作業場」と呼んでいる、実家の1室にいます。一昨日が移動日だったのです。
1ヶ月のうち2週間萩に滞在して、残りを東京で暮らすといったリズムで生活しています。

先日「田舎での行動範囲を広げるために、自転車を買おう」という記事を投稿しましたが、予定取り自転車を購入しました。

保険や防犯登録を含めて2万円ちょっとの「安い自転車」です。
スポーティであったり、高機能である必要はなく、このくらいで充分なのです。

生まれてはじめて、ホームセンターで自転車を買いました。
自転車店というものがないのですよ。ググってみると見当たらなくもないのですが、萩の作業場から徒歩で赴くのに一番近く。そして出かけたからには、併せていろんな売り物を見たいな、となると「ホームセンターが一番使い勝手よさそうだな」という印象を持ったし、実際にそのように行動してしまいました。

「昔ながらの自転車屋で買い物したほうがいいんだろうな」という気持ちもあったんですけどね…。

せっかく乗り物を手に入れたのですから、その足で市内をグルっと自転車に乗って巡ってみました。

こうしてこの街を自転車で移動するのは、20数年前にフリーランスになるために勤めていた会社をやめたとき、1ヶ月間ほど休暇を取って萩で暮らしましたが、その時以来でした。

いや。暇だからといって目的もなく街中を自転車で走り回るなんて行為は、小学生か中学生のとき、自転車が移動手段ではなく遊び道具だったとき以来だったかもです…。35年とか40年ぶりくらいですかね。

人影少ない街、痛みの激しい古民家

その当時「広い」と思っていた道がとても狭く感じられるのです。
新しく大きな道がいくつかできていますので、相対的な感覚なのかもしれませんし、僕の中に「ここは田舎」という先入観ができあがっているからなのかもしれません。

そして、人がいません。日曜日の昼間にも関わらず、です。

僕が自転車を買ったホームセンターの駐車場には、わりと多くの車が停まっていました。
近くに商業施設や飲食店が固まっているエリアなのですよ。

同じように、観光地近辺にもそれなりの人手はあります。

それ以外のエリアでは「えっ、こんなに人少ないの?」という感じです。おそらく、こちらがこの街の実態なのです。
二拠点生活を初めた頃から分かっていたことではあるのですが、「自転車速度」で移動しているとまたちょっと違った感覚で再認識してしまうのです。

そして「萩暮らし応援サイト – 萩市ホームページ」に掲載されている空き家物件を分かる範囲で巡ってみました。

当然、中に入ることはできないので外観と周辺環境のチェックだけ。

このブログのいろんなところで触れているように、萩市で古民家を取得して、そこに住みながらセルフリノベーション生活をしたいのです。
(参考:田舎に家を買う条件 ― 萩で物件探し始めます

想像していたよりも、かなり痛みの激しい物件揃いでしたね。
近隣に建っている、新しくハウスメーカーが建てた家、そこで生活が営まれている家と比較すると、当然ながら見劣りするのです。

空き家ですから当然、雑草が生え放題だったり、外から覗える部屋の中では、破れたカーテンがぶら下がっていたり、年代物のアルマイトの鍋がかけてあったりして、なんとなく「お年寄りが住んでたんだろうな」「最後の方はメンテナンスにお金かける余裕なんてなかったんだろうな」などと想像してしまうのです。

これがなかなか面白そうで、興味深いのです。

「早く慣れなくちゃ」か? 「これに慣れちゃダメだ」なのか?

そこで、ふと思いました。僕はそういうのが好きなのですよ。
なんかちょっとした「自由」を感じるのです。

人影少ないこの街での生活を始めようとしていますし、見るからにガタがきている古い家を買おうとしています。
「ここに来ると、いろいろやることありそうだな」とちょっとワクワクするのです。

以前投稿した「マンション暮らしは快適。でも、いったんやめてみよう」でも書いたように、東京のマンションでの暮らしには飽きてきているのですよ。

有り体にいえば、ちょっと飽きてきたというか、同じことの繰り返しを感じるようになったというか、「この快適さがイヤだ」みたいな、甚だ贅沢な感情を持っていて「いったんゼロに戻そう。他にも大事なことがあるんじゃない?」と考えているのです。

だからこそ、萩での古民家暮らしに興味を持っているし、そういう行動をとっている最中なのです。

なのでこの先、萩で暮らして何年かすると、ここでの生活に慣れてしまって再び飽きてしまうかもしれません。ですが、それはそれで仕方ないのです。

そのくせ今、こうして萩の街をグルっと巡りながら「早くこの街の雰囲気に慣れないとな」と思っています。
上手く言葉にすることができないのですが、同時に「いつまで経っても慣れないほうが楽しみ続けられるんじゃない?」とも思っているのです。

おそらく前者の「慣れないとな」は「馴染まないとな」だろうと思うし、後者の「慣れないほうが」は「マンネリにならないほうが」と使い分けたほうがしっくりくるのかもしれませんね。

僕は、同じこと、最初から結果が見えている毎日が延々と続くのがイヤな質(たち)のですよ。

今は、自分のこだわりとか、感覚とか、次のシーンへの期待のようなものが上手く回ってくれる環境が、人影少ない田舎での生活だし、ボロい古民家から始まるリノベーション生活のような気がしているのです。

「これは思ったよりもひどい状況だな…」という出会いにちょっと心が動いているのです。
ちょっとした余白を感じてるのですね。

住みはじめてこの街にも馴染んで、リノベーションもなんとなく意図通り進むようになってくると、慣れてしまって「あれ? なんか違うな」ということになってしまうのだろうとは思っています。

そうなった頃にもう一度、東京の便利なマンション暮らしを体験すると「あ、これはいい」と感じてしまうのかもしれません。

だから僕はまだ、萩を「人生の終着地」だとは決めていないのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。