follow hagi.life

マンション暮らしは快適。でも、いったんやめてみよう

2019.11.27

こんにちは、萩ドットライフ()です。

便利で快適なことよりも大事なことがある気がするのですよ。東京でのマンション暮らしは快適です。でも、不便を厭わずに感じておきたいものが田舎の生活にはあるような気がするのです。思い過ごしかもしれませんが、そう感じているから仕方ないのです。

マンション暮らしは快適ですよ

東京と山口県萩市の二拠点生活生活を始めて間もないころ、ほぼ1年くらい前。
築40年を超える軽量鉄骨住宅、寒いっ!」という記事を投稿しています。

半世紀を超える僕の人生を振り返ると、

  1. 木造・土壁の古い長屋造りの戸建てで生まれ
  2. 12歳で軽量鉄骨造りの戸建てに引っ越し
  3. 大学進学とともに、旧兵舎を改造した大学寮に入り
  4. 二年生からは木造アパートを借り上げたバレー部の合宿所暮らし
  5. 就職とともに、軽量鉄骨アパートに入居
  6. 30代半ば、フリーランスになるのを機にRC造りの賃貸マンション
  7. 40歳で新築分譲マンションに入居

という住環境で生活してきました。

(2)が、前述の「築40年を超える軽量鉄骨住宅(=萩の作業場)」、(7)が、現在住民票を置き、法人登記もしている「東京の作業場」ですね。

ここ20年くらいはRC(鉄筋コンクリート)造のマンションで生活しています。
当然、同じところに住み続けるにつれ、設備等は時代遅れになっていくものです。
今の住居も、最新の設備と比べると見劣りするし、入居時のものはガタが来はじめていますが、概ね快適です。

24時間ゴミ出しが可能だし、コンシェルジュサービスがあって、建物内から宅配便は送れるし、クリーニングも依頼できるのです。
他にもキッチンスタジアムみたいな設備があったり、来訪者の宿泊施設があったりと、いろいろと揃っているマンションなのですよ。

以前投稿した「不動産を取得したときに考えていたこと」でも触れたように、購入した当初から「将来的に運用できる物件を」と考えてはいたものの、どこかしらに「オレ、このマンションが終の棲家になるんだろうな」という考え方をしていた時期もあったのですよ。

そのくらい、僕にとっては快適な住居兼作業場なのです。

立地的にも便利なのですよ。
簡単な買物ができる店舗や、ちょっと体調がすぐれないときに行ける病院は徒歩圏にいくつもあるし、大きな買い物をしようと思えば、地下鉄ふた駅で日本橋だし、30分もかからずに銀座にも行くことができます。
空港を使うときにも、T-CATまで徒歩で行けます(真夏は無理だけど…)。

便利より大事なことがあるんじゃない?

僕はどうやら、今までやってきたことを否定してみようとしているフェーズにいるようなのです。
「今まで」というのは、50年を超える長い人生すべてのことではなくて、ここ20年強のフリーランスのデザイナーとして食ってきた期間のことですね。

このブログ内のいろんなところに書いていますが、僕は運がよかったのです。
周囲の人々にも恵まれて、どうにかメシが食えていたのですよ。それは充分に理解も感謝もしているのです。

有り体にいえば、ちょっと飽きてきたというか、同じことの繰り返しを感じるようになったというか、「この快適さがイヤだ」みたいな、甚だ贅沢な感情を持っていて「いったんゼロに戻そう。他にも大事なことがあるんじゃない?」と考えているのです。

以前にも「田舎の古民家で暮らしてみたい、という好奇心」という記事を投稿したことがありますが「便利で快適だけど、ちょっとマンネリ」な現状よりも、もっと根源的なところから掘り起こしてみたいのですよ。

たぶん、生活の中の光とか風とか草の匂いとか、そんなものなのかな? と思っています。
思い過ごしかもしれませんし、後悔に繋がるかもしれないけれども、足を踏み入れたくて我慢できないのです。

子供の頃、学校に向かう途中で浜辺の風の心地よさを思い出し、サボって浜に向ってしまう感覚と言ったらおわかりいただけるでしょうか?

結局は昼頃には飽きて手持ち無沙汰になり、途中から学校行くのも億劫で、いったん家に帰って部活の開始時間にもう一度、体育館に向うっていうね…。

浜辺でボーッと過ごしているときに「あなた学校は?」と咎められたことは一度もありませんでしたが、もし誰かに聞かれたら「今日の僕にとって、授業に出るよりも、こうして風に当たってることのほうが大事なんです」と真剣に答えていただろうと思います。

いま持っている感覚もこれなのです。
無職になって、古い家を修繕しながら、アイスひとつ買うのにも自転車や車を使うような生活の中に大事なものがあるような気がしているのです。

もう一度、風に当たりに

子供時代に学校をサボって浜に行っていたときと違い、今の僕には少々罪悪感があります。

これまで一緒に仕事をしてきた方々に、そこそこの迷惑はかけたと思うし、自分の収入がなくなったことにも不安はあるし、何よりも「押されて下がった」ことを自覚しているのです。

ひと言でいえば「焼きが回った」から環境を変えようとしているのです。

大人になってからも「今日はこれをやる予定になってる」「この時間はここにいないといけない」ということがずっと続いていました。
職業人なのですから、子供時代のようにサボることは許されません。

だからずっと「もっと大事なこと」を思いついていても、それを実行することができませんでした。
そうしなくても、恵まれていて、そこそこ快適だったからです。

「もう一度、風に当たりに浜へ行こう」そんな感じの今なのです。

先日、萩市の空き家バンクに利用者登録をしました。
ご担当の方からメールもいただき、週末からまた萩に移動して滞在する2週間の間に、目をつけていた物件の内覧が叶いそうです。

その物件が購入するに至らなくとも、これを機に「萩で古い家を買って、そこに住む」という気持ちは、どんどん高ぶってくるはずなのです。

東京のマンション暮らしよりも不便で、メンドくさいことも多かろうと思います。
でも、そこに大事なものがありそうな気がしているのです。ここで行動しないと、後になって後悔しそうな気がしているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。