二周目の人生
2020.03.26
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。むかし観た風景とか、薫りとか、なかなか言葉にできない感覚を思い出すことが増えてきています。ちょうど今、二周目の人生が始まろうとしているし、その舞台が僕が生まれ育った街だからなのでしょうね。あと数ヶ月で、僕の「田舎暮らし」が始まります。
自転車時代
昔のことを思い出すことが増えてきています。
理由は明らかで、山口県萩市に家を買い、東京のマンションを売却する体勢に入り、いよいよ田舎への移住へ向けて歯車が回り始めたからなのです。
大学進学とともに「故郷」になった街が、38年を経て再び「居住地」になるのです。
だから、幼少期から高校時代までの、僕が萩市民だった時代のことをよく思い出すのです。
ここ1年半くらいは東京と萩を行ったり来たりする「二拠点生活」を続けていて、今の萩の状況はなんとなく把握はしているのですが、それとは別に、子供時代の暮らしを思い出すのです。
あの頃をひと言で言うと「自転車時代だったな」と感じています。
だからなぜか、自転車に乗っている自分を思い出すことが多いのですよ。
どこに行くのにも自転車で出かけていましたし、小学校1年生のころ、初めて自転車を買ってもらって、公園で練習して乗れるようになったことが「何かをできるようになる」ことの原体験だったような気もしているし、とにかく休日にはいつも自転車に乗っていました。
高校生になったら自転車通学になったし、休日にも部活で学校に言ってましたから、本当に毎日乗ってましたね。
乗らなかった日って、風邪引いて家で寝てた日くらいじゃなかったかな?
あの自転車速度で景色が流れる感覚とともに、あの時代のことを記憶してるんでしょうね。
今も東京で自転車を持ってはいるのですが、用途はもっぱら朝ランのために公園に移動する用にしか使っていません。
やはり、日常の足は地下鉄でありタクシーなのですよ。
二拠点生活中の萩での足として、自転車はすでに買っています。
以前、
という記事を投稿していますので、関心のある方はご参考に。
おそらく街のサイズ感も、中心部が三角州であるという地形も関係していると思うのですが、萩市は自転車生活が快適な街だと思います。
その割に、大人はみんな車に乗ってますけどね…。
僕も、移住したらすぐに免許を取るつもりですし。
自動車免許を取って、車を買ったらどうなるんだろう? 僕もやっぱり車で生活する人になるのかな? でも、自転車はときどき乗るようにしたいな、とは思っています。
独りで移動する快楽
自転車に乗って移動していた頃を思い出すとき、必ず独りでいるときのことを思い出すのですよ。
友達何人かと集団でワイワイと移動していたときもあったし、好きな人と二人乗りのときも、ちょっと真面目な話をしながら並走していたこともあったのですが、なぜか独りで自転車に乗りながら観たいくつもの風景とか、空気の薫りを思い出すのです。
今でもそうなのですが、僕は複数人で移動するのが苦手です。
「苦手」と言うとちょっと大袈裟なのですが「わざわざ一緒である必要ないじゃん」と思う派です。
できれば現地集合・現地解散を好みます。
あくまでも「どちらかというと」程度ですけれどね。
飲み会の後に、店を出たところにタマリを作って「家どっちだっけ、何線?」みたいなやり取りをしているのがキライなので「アリガトね、じゃあお先」とさっさと離脱したりします。
今こうして昔のことを思い出しながら「オレ、ガキの頃からずっとそうだったんだな」と改めて感じているところです。
20年くらい前に自動車運転免許を失効したのですが「ずっと東京で暮らすんだから、車乗らないな」と思うと同時に「できれば車に乗りたくないな」という感情も若干あったんですよね。
「一緒に車で行く?」とか「車で行くんなら、便乗させてよ」みたいな感じで複数人移動になるのが、ちょっとイヤといいましょうかね…。
結局は「人による」んですけど、たまに好きな人とも一緒に行動したくないときとかあるんですよね。
タクシーは気にならないんですよ。そういう乗り物ですからね。
二周目の人生
たぶん人それぞれに、「二周目の人生」という感覚ってあると思うのですよ。
ある人は「転職」がきっかけだったり、ある人は「出産」だったり、「定年退職」だったり、「大病からの帰還」だったり…。
人それぞれだとは思うし、3周目、4周目を感じる人がいても、不思議はないと思います。
再び生まれた街の住民になろうとしている今、僕も二周目の人生が始めろうとしている感覚を得ているのです。
(参考:生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう)
考えてみれば、かつて「フリーランスになったとき」も「東京のマンションを購入したとき」も、似たような感覚があったのですが、今回はいったん、環境も仕事も人間関係も、すべてリセットして「ゼロに戻す」フェーズを作ってからの行動です。
ちょっとこれまでとは違う「二周目の人生」感なのです。
今まさに、その真っ只中にいるから、そう感じているだけかもしれませんけどね。
僕が昔を思い出しつつ得られる感覚って、たぶん世界で僕ひとりだけにしか分からないものなのですよ。
もしかすると、同じ感覚を持つ人が他にいたとしても、それはその人の感覚なので、僕の感覚ではないのです。
そこに、ほんの少しの優越感もあれば、他人と共有できない寂しさや残念さがあったり、どうにかして伝えようと思うから、こうして言葉を作ってみようという気を起こす動機になってもみたり…。
いろいろ考えてみるのですが、やはり感覚なんて孤独なものなのですよね。
できればこの二周目の人生が、豊かなものでありますように…。
◆ ◆ ◆
過去記事を振り返ってみると、1年以上前に、
なんて、記事を投稿していますね…。
同じようなことを何度も繰り返し考えているようです、そんなもんです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。