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当たり前だけど、場所が変わると暮らしが変わるんだよね

2020.11.06

こんにちは、萩ドットライフ()です。

日本中どこも「同じじゃない」のです、当前のことですけどね。頭で分かってても、実際に移住して生活環境を変えてみると「そういえば革靴履かないな」とかに気づいて、「それってどういうこと?」と、自分の暮らし方が変わったことを知るのです。

同じじゃない、よね

ひと言でいうと「同じじゃない」のですよ。

東京を離れて山口県萩市に移住して、まだふた月ちょいしか経っていませんが、なんとなく気づいていることもあるので、とりあえずの記録を。
もうしばらく経ったら「あんとき思ったこと、ありゃ勘違いだった」なんてことになるかもしれませんけどね。

朝ラン中に見かける漁師は、岸壁のギリギリにまで軽トラを寄せて止めて、漁に出たり漁具の手入れをして過ごそうとしているし、昼間プラプラと散歩をしていると、草刈り機を持って歩いている農家の人とすれ違うのです。

スーパーや市役所のある中心部に出かけても、スーツやコートを着ている人とすれ違うことはあまりありません。
役所や金融機関の方々は、スーツを着ている人もいるんでしょうけどね…。

一応、朝夕には車が渋滞します。
どこから来た車が、どこへ行こうとするから渋滞するのかはよくわかりませんが「へえ、渋滞なんてするんだね」なんて思いながら自転車を漕いでいます。

考えてみれば、田舎ってほとんどの人が車で生活してるんですよね。
大げさな言い方をすれば、大人の数だけ車があるのです。

うちの近所の家を見渡しても、ほとんどの家に2・3台の車が止まってますもんね。
僕は自転車で移動していますが、自転車に乗ってるのは主に子供と老人だけですね…。

ずっと東京で暮らしてきて、自分が住んでるマンションの周りだったり、地下鉄で数駅移動したところにある繁華街を行き交う人々の様子だったりを視界に置きながら、仕事で出会う人々とそれぞれが興味のある話題で盛り上がり続けてると、なんだか日本中がそんな感じなんじゃないかと錯覚してしまうのですよ。

僕は過去に二年間にわたって、東京と萩を行ったり来たりする二拠点生活を続けてきました。

その上での本移住だったのですが、やはり「通う」と「住み着く」では、なんかしら違うんですよね。
いまのところ、なんとなくではありますが「同じじゃないよね」という感想を持ちながら、ひとつずつときほどいている最中なのです。

たとえばマスクの着脱とか

どうやら、また新型コロナウイルスに感染する人が増え始めているようですね。
死亡者数にさほどの増加は見られないようですけどね。

今年の春先、コロナだコロナだと大騒ぎしていたころには、日本中が等しく緊急事態宣言に則って同じ行動を取っていましたよね。
「私たちはこれからどうなるんだろう?」という不安の中にいましたから、大事を取って「決して油断しないように」「念には念を入れて」という意味では、正しい態度だったのだろうと思います。

そのころ僕は、二拠点生活を停止して、ずっと東京のマンションで暮らしていました。
(参考:二拠点生活、停止中

おそらく、そのときだって漁師は漁に出たり漁具の手入れをしていただろうし、農家の人は田んぼや畑で土や作物と向かい合っていたはずなのです。
萩の街なかでは、そんなに人が密集するような場所もなく、建物内に入らない限りは他人と2m近づくなんて、せいぜい信号待ちくらい? な感じの生活をしていたはずなのですよ。

先日投稿した「新しい習慣ができた感じ」でも少し触れましたが、もう自転車で街を移動しているときには、マスクをつけていない人を多く見かけます。
だって、他人と接近しないんですもん。

その代わり、商業施設や市役所、僕がいま通ってる自動車学校でも、建物内は例外なく全員がマスクをつけているし、エントランスで手をアルコール消毒しています。

家族や親しい友人との食事会のときは、マスクを外して談笑します。
その範囲内で感染するのは「仕方ない」と考えているんですね。

これは人によるのでしょうが、僕は不特定多数の人が集まる会合には出席しません。
「感染が怖い」というよりも「いい言い訳ができたな、ヒヒっ」くらいに思っています。

これが、東京にいるときだと「親しい友人」との会合もまだ憚られていたような気がします。
当然、道を歩いているときにもマスクを着用していることでしょう。

家を出てからずっとマスクを着用しているのと、場所々々によって着けたり外したりできるのって、ストレスが全然違うんですよね。

僕は花粉症もないし、もともとマスクをすることがなかったんですよ。
なので、外出中ずっと着用するのは、結構なストレスなのです。

土地によって格好も変わりますよね

冒頭でもチラっとふれましたが、人々のファッションも違いますよね。

東京でも、ひと昔前とくらべて街ゆく人々のファッションがカジュアルにチープになったというニュースを見かけたことがあります。
いろんな解説がされていましたが、僕は人々が繁華街に出かけるのに肩肘張らなくなったのは良いことだと思う派ですし、金のかけどころが多様化した結果なんだろうな、と思っています。

なので、割と肯定的に捉えています。

僕自身がこんな感じなので、自己弁護している部分もあります。

完全リモートワークで働いているので、人前に出ることがなくなったこともありますが、基本ユニクロしか買わなくなりましたね。
靴は、アシックス。ランニングで使って、カカトが削れたものを普段履きにしています。
今、普段着よりもランニングウェアの方が高いの買ってます。
この冬は、ずっとベンチコートで済ませました。
(参考:人生の転換期に起こること

でも田舎に来ると、それに輪をかけて人々のファッションがちょっと意味わからない感じです。
いや、それでもそちらのほうが風景に馴染んでいるので「よく気をつけて見れば」程度というところでしょうかね。

僕、萩市に来てから1度も革靴をはいていません。
いわゆるビジネスシューズのことじゃなくて、ちょっとしたキレイ目カジュアルのときに使う、普段履きの革靴のことです。

自転車移動していることもありますし、出かけた先で泥を踏むことが多いからなのでしょうね。

だから、いつもジョギングシューズを履いています。
この先ずっと、これになるような気がしています。

ちょうど引っ越しのときに古くなったスニーカー類(コンバースとかスペルガとか)を捨てたのですが、なんとなく「もう白は買わないかな」みたいな気になっています。

たぶん、環境がファッションを作っていくんですよね。
単純に「田舎:ダサい/都会:シャレてる」ではないような気がするのです。

混雑なんかしてなくて、人の目よりも風の肌触りや空の高さのほうが気になって、アスファルトやタイルよりも土を踏んで歩いていることのほうが「あたりまえ」な場所っていっぱいあるのですよね。

日本中どこでも「同じじゃない」のです。

以前「環境を変えると、考えることも変わるよ」という記事を投稿したことがありますが、ちょっとそうじゃない部分で気づいたところに触れてみました。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。