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セミリタイアを選んだのは、評価される側にい続けたいから

2018.11.18

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ここ最近ずっと「セミリタイア」について考え続けているのですよ。「とりあえずやってみればいいんだよ」と始めた行動なのではありますが、「そう、これで良かったんだよ。間違ってないよ」と自分を納得させたがっているフェーズなんでしょうね…。

東京と萩市の二拠点生活をはじめた「だけ」なんですけどね

昨日投稿した〈セミリタイアは、飽きている現状折り合いをつけるため〉は、山口県萩市で書き、今日のこの記事は東京都江東区で書いています。

僕はセミリタイア生活を始めたばかりなのですよ。
「セミリタイア」と言っても、もともとがフリーランスのWebデザイナーなので、案件の切れ目や、クライアントとの業務提携が更新されず、戦力外になったときには「リタイア状態」になったりするものなので、なんの実感もありません。

サラリーマンの方みたいに「今日から満員電車乗らなくていいんだ」「ずっと家にいられるんだ」みたいな、大きな変化は起こらないのですよ。

僕の場合はただ

  1. 新規案件の受注を停止した
  2. 対面ミーティングを拒否している
  3. 東京と萩市の二拠点生活をはじめた

だけなんですよ。
(1)と(2)に関しては、まだ立ち上げ中の案件も、運用案件も残っていますので、さほど「セミリタイア生活が始まったぞ」という感じはしていません。
以前同様、時間は拘束されてるし、チャットワークやメール、電話でコミュニケーションを取り続けていますから「今日は気がのらないから、休み」なんてことにはできないのです。

実質(3)の「東京と萩市の二拠点生活をはじめた」だけが変化なんですよね。
セミリタイアの実感が少ないから、アタマの中であれこれ考えちゃうんでしょうね。

とはいえ、こうしてブログを書いていますので、あれこれ考えちゃうのであれば、それをそのまま、記録しておこうと思っています。
「セミリタイア」ってのも、検索順位を上げたいワードのひとつなんですよ。まだ60位とか70位とかで、どうにもなってない状態ではありますが。

評価されなくなる自分がイヤだな、と

セミリタイアを選んだ理由なんて、あとからも出てくるもんなんですよ。
仕事でよくやる、できちゃったものに後付の理由を考えて「こういう意図により、本案をお勧めします」って感じじゃなくて、行動に至る過程をずっと、思い出していて「ああ、こういう感情も、行動を後押ししてたな」と気付き、それが言葉になっていく感じですね。

昨日の〈セミリタイアは、飽きている現状折り合いをつけるため〉を投稿したあと、萩市から東京へ移動したのですが、そのとき「そういえば」と思い出したのが「オレ、評価されなくなるのがイヤなんだな」ってことなのですよ。

多くの仕事は必ず他者の評価に晒されますよね。とくにデザイナーを含む、クリエーターと呼ばれる職種の人は、しつこく自分の成果物に対するコメントを聞かされるのです。
「ウレシー! ウヒョヒョ」って評価もあれば、「ウルセー、バカ」と感じるときもあるのですが、この「評価」という工程によって、関係しているみんなが「考えていること」「僕に表現をさせたいと思っていること」が、僕に集まってるんですよね。

以前〈情報の発信者や発信地に「情報」や「人」が集まる〉という記事を書いたことがありますが、この現象が、案件に関わるチーム内で起こってるのです。

もちろん、コピーはライターに。写真はフォトグラファーに、図版はイラストレーターに、それぞれの発信者に情報が集まるのですね。

とはいえ、他者からの評価を取捨選択して、咀嚼して、成果物に再反映するのも、発信者の役割であるはずなのですが、クライアントワークの場合、そうならないケースが多々ありますね。評価が「指示」とか「チェックバック」というカタチでやって来るもんなんですけどね…。

この辺りのフラストレーションが「セミリタイアしたい」と思うようになった入り口でもあるんですよね。

自分で「生産的な趣味」って言葉使ってますね

「セミリタイアしたい」と思うに当たって、デザイナーじゃなくなってもいいし、受注案件もなくなっていいと思いました。
だけど「自分がアウトプットした成果物が、なんらかの評価をされる」という状態だけは失いたくなかったんですよね。

そういう状態のことを僕、自分で「生産的な趣味」って言葉にしちゃってますね。
(参考:「生産的な趣味」の時間を確保するためにセミリタイアしようとしてる

この言葉、なんで思いついたんだろ? ググってみると多くの人が「生産的な趣味」って言葉を使ってるので、SNSか他人のブログなんかで、見たのかもしれません。

これ、僕がセミリタイア生活を送るうえで「こうありたい」って状態を端的に表した言葉だと思っているのですよ。

自分の成果物を評価されたい「評価欲」みたいなものがあるんじゃないでしょうかね?
どう言ったらいいのか…。「承認欲求」ともちょっと違って、前述の「発信者に情報が集まる」感じの心地よさみたいなことなのですよ。
そして、それは「生産欲」であり「行動欲」につながっていくものだと思うのです。

これ、僕にとってとても大切なところなんです。
たとえば、リタイアして「グルメ」「映画鑑賞」「読書」「旅行」などの消費的な趣味を楽しむのも、とても素敵なことだと思います。
評価される側ではなくて「する側」に立つということですね。

ただ、僕にとっては「評価される側にいる」ということが、とても重要なのですよ。
「評価する側にまわる」ことに対する楽しさを、あまり感じないようにできてるのです。

だから、悠々自適な「完全リタイア」ではダメなのです。クライアントワークと生産的な趣味のバランスをコントロールできる「セミリタイア」が適していると思っているのです。

とりあえず今の僕は、アクセス数やユーザー数でという数値化された評価を得られる、このブログの運用をとても興味深く感じています。
未だ伸びる気配はないのですが「苦しみながら、攻略してみよう」と思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。