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老後に、右肩上がりのなにかを持ち続けるプラン

2019.07.26

こんにちは、萩ドットライフ()です。

75歳くらいまで働き続けたいと思っているので、そのころの自分をイメージするのですよ。資金問題も大切だけれども、他人や社会への悪口を言いながら生きているような、くだらない老人にはなりたくありません。そのための老後プランを考えているのです。

老後、資金プランよりも大切なこと

以前投稿した「フリーランスは老後も稼ぐことが前提です」でも話題にしましたが、最近、老後の資金プランに関する話題が世間を賑わせることが多くなっていますね。

少子高齢化は進むし、これからもっと深刻になっていくのでしょうね。

僕は現在50代半ば。サラリーマンで言えば、あと5年で定年、あと10年で年金受給者。もう「老後」は目前なのですよ。
サラリーマンの方々のようにまとまった退職金はないし、低年金者なので、一歩先に老後の準備を始める必要があるのです。

低年金問題に関しては、法人経営者でありながら、長らく厚生年金に加入していなかったので、自業自得なのですけれどね…。

僕は、老後の準備に先駆けて「セミリタイア」生活に突入しています。
仕事や趣味や人間関係を、いったんリセットしつつ老後のプランをイメージし始めたいのです。

これからの人生にとって、資金プランが重要なことは承知していますので、過去に何度か記事にしていますので、関心があればご参考に。

ただ、今の僕がもっと大切なことだと思っているのが「老後の心の持ちよう」なのですよ。
ずっと成長し続けないと、自分が嫌いな「みすぼらしい老人」になってしまうような気がするのです。

20年後の自分をイメージし続ける

もし、この記事に目を通しておられるあなたが、同年代の場合。仲間と老後プランについて語り合ったりすることってあるんでしょうかね? 僕は、ないのですよ。

まず、同世代の人々と付き合いがないのです。
フリーランスのデザイナーだからということも影響しているかもしれません。

いつも一緒に仕事でつるむ仲間うちで、僕が最年長。一番歳の近い制作会社の社長が10歳年下なのです。
いわゆる「同期同士の付き合い」というものがないのですよ。

50歳になるあたりから、高校時代の同級生が年に数回、同窓会的なものを催してくれるようになったのですが、あまり「老後」の話にはなりませんね。
みんなが、どこかしらで「50代で老後の話をするのは、まだ早い」と感じているのかもしれませんし、バックグラウンドもバラバラですからね。

超大手企業の役員とフリーランスのデザイナーが考え方を擦り合わせるのは無理がありますし、要らぬ感情を生む可能性もありますからね。
僕がそうであるように「考えてはいるけれども、口にすることではない」と考えているのかもしれません。「老後」なんてワードを使うのは、今のところ、このブログ上だけなのです。

僕は20年後の自分をイメージし続けているのですよ。

75歳もしくは80歳くらいまで、労働による収入を得続けたいと思っていますから、そのあたりに中間地点を設定しているのです。

他人や社会への悪口や侮辱を言葉やコメントにしながら生きているような、くだらない老人にはなりたくないのですよ。
でも、そうなってしまわないという保証はどこにもありません。
むしろ、SNS上には、そんな「怒りが人生最後の娯楽」のような方々が多く観測されるではありませんか…。

「これから20年間、どのように過ごせば、そのようなみすぼらしい老人にならずに済むのだろうか」ということを考え続けているのです。

その結果「ずっと成長し続けていれば、回避できるのではないか」と感じています。

すべてが下り坂になることが、みすぼらしい老人になってしまうことの原因ではないかと思うのですよ。
大切なのは心の持ちよう。

新しい自分と出会い続けていれば「社会が悪い」「政治が悪い」「誰々が何々してくれない」と、他責的に生きていくことはなくなるはずなのです。

そのために、仕事でも趣味でもなんでもいいから、自分の人生の中に「右肩上がり」のものを持ち続けたいのですよ。
僕は、ずっと働き続けたいので、まずは「仕事」の中に成長できるものを見出したいと思っています。

上に「いったんリセットする」と書きましたが、今、ゼロから始め、10年がかりでようやく小遣い程度になるようなもので構わないのですよ。こういうものを複数持ちたいのです。

四十の手習い

昔から「四十の手習い」という言葉があります。
かつては、40歳くらいで隠居生活に入っておられたようですから「老後の趣味」みたいなニュアンスなのでしょうかね。

「日本地図作ろう」と発想されたモンスターもおられたようですが、だいたいは楽器や詞曲、図画の稽古などの師匠について教わるようなイメージですね。

これって「みすぼらしい老人になるの、イヤなんだよね」という先人の知恵なのではないかと思っているのですよ。

いつの時代の人も「暇になって、気力も体力も知力も下り坂になると、禄なことにならないんだよ」と思ってたんじゃないでしょうかね。

冒頭に「老後の資金プランに関する話題が世間を賑わせることが多くなっている」と書きましたが、資金問題にばかり気を取られていると、大切なことを見失うような気がしているのです。

いくら老後資金が潤沢でも、他人のやることなすことにケチばっかつけながら暮らす人生って、楽しくなさそうですもんね。

とりあえず僕はもう行動を起こしてしまいましたから、20年がかりで「オレの選択、間違ってなかった」ということにしなければならないのですよ。

この「老後に、右肩上がりのなにかを持ち続けるプラン」を遂行していこうと思います。
途中で、いろいろ微調整を加えることになるとは思いますが、たぶん上手いこといくでしょ。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。