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[フリーランスの老後]再起業に取り組んでいる感覚

2019.07.27

こんにちは、萩ドットライフ()です。

フリーランスの人が市場からいなくなったあとの生態って、よくわからなかったのですよ。わざわざ電話して近況を訊ねるのも失礼な感じがするし…。たまたま僕が今「消えようとしている」フェーズなのですが、「再起業」しているような感覚でいるのです。

タイトル中に[フリーランスの老後]という文言を入れた記事を定期的に書いているように「フリーランスのみんな、仕事をやめたあと、どんな生活をしているのかな?」「ソフトランディングできているのかな?」ということに関心があるのです。

僕が知っているフリーランスの人たちって、いつの間にかいなくなっちゃうものなのですよ。
引退を表明してる人なんて見たことがありませんでした。

仕事仲間って、みんな「知人」なのであって、「友人」ではないのですよね。
仕事で繋がっている期間においては、擬似的友人関係みたいなものが成立していますが、一緒に組む機会がなくなれば、自然と「古い知り合い」カテゴリに入ることになります。

だから「引退」や「転職」のような人生の転機に関わる話を共有することって、稀なのですよね。
「あと10年後くらいには、足洗って田舎暮らししたいなあ」なんて「夢」や「展望」を語り合うことはあっても、実際に行動を起こすときには「無言で淡々と」ということになっちゃうんでしょうね。

僕自身がそうなのです。

こうして毎日「セミリタイアしたよ」とか「あと少しでデザイナーを引退するよ」などと、ブログに書き続けているのですが、実生活の中では限られた人にしか伝えていません。
それも「フリーになって20年もやってるんだから、ちょっと長めの休みを取りますよ」くらいのニュアンスで伝えています。

再起業しているような感覚

自分の中で「やるべきこと」がしっかりと決まっていないのですよ。
「考えていない」のではなくて、ずっと思考は繰り返しているのです。
「あとは実行しながら、調整と修正を繰り返していくか…。だんだん解像度も上がってくるだろ」くらいの感覚でいるのです。
(参考:「行き当たりばったり」は、思考停止じゃない

20年前にフリーランスになったときも、似たような感覚でした。

そのときは「フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう」で書いたように、3人で起業しました。
複数人集まると、どうしても「相談したがり」がいて、どこかしらから「自称・詳しい人」「知り合いの社長さん」を見つけてくるものなのです。

「相談したがり」に対して「アドバイスしたがり」もいますからね…。

正直「時間のムダ」だと感じていました。
だから今、僕はほぼ誰にも今の状況を伝えていないのですよ。

もしかすると、他のフリーランスの人たちがどんな末路を歩んでいるのかを僕が知らないのは、いちいち他人に言わないのがフリーランスになる人の特性だからなのかも知れませんね…。

「再起業」とでもいいましょうか、僕は今、デザイナーという仕事を捨てて、もう一回起業するような感覚になっているのですよ。
「そんな言葉ある?」と思ってググってみると、みなさん「過去に失敗した人が、再び起業すること」みたいな意味で「再起業」という言葉を使っておられますね。

僕は「いったんゼロに戻してからの、再構築・再始動」みたいな意味で考えています。
今、僕の身の回りで起こっていることを「再起業」という言葉で定義し始めているのですよ。

乗り物を取り替えるみたいな感じ

ずっとフリーランスとして働いてきた僕には、退職金や厚生年金はないのですよ。
(※フリーランスといえども法人化しています。長らく厚生年金に加入していなかったのは自業自得なのです)

なので、老後も含めてこれからずっと、労働を手放すわけにはいかないと思っています。
とはいえ、加齢とともに知力・気力・体力、衰えますし、反面、資産はちょっとずつ増えていく。労働との関わり方は変わってきますよね。
(参考:フリーランスは老後も稼ぐことが前提です

前項で「再起業(=再構築・再始動)」という言葉を使いましたが、言い方を変えると、乗り物を取り替えるような気持ちでいるのです。

これまでは、自動車のようなものに乗っていた。
複数人で早く移動できる代わりに、維持費も燃料費もかかるし、事故を起こさぬように注意も必要だし、まもるべきルールも多い。

それを、自転車に乗り換えるようなものなのです。
ひとりで、好きなペースで漕いでいればいいし、舗装されていないところにも入っていけるし、邪魔にならぬところに停めて休んでいてもいい。

そのうち「おじいちゃん、自転車は危ないから乗らないでね」ということになるかもしれませんが、あと20年くらいは大丈夫だろ、と思うのです。

まだ「何かを失う」ことをポジティブに感じられるのです

前述の通り、僕は今、身の回りで起こっていることを勝手に「再起業」という言葉で定義し始めているのですが、その前提として「50代半ばにもなると、いろいろ衰えるな。失いつつあるものをちゃんと認識しないと」と、自分自身が感じているからなのです。

抗っても仕方ないことなのではありますが、寂しさはありますよね。

ただ反面、何かを失うことと同時にやってくるものも感じるのですよ。
過去に投稿した「新しい感情」で触れた「心の熾火(おきび)」の発見だったり、衰えと向き合う体験だったり、人生のフェーズが変わった感覚など、これまで持っていなかったものを手に入れつつあるような気がするのですよ。

「かつて視界から消えていったフリーランスの人たちの何人かは、どこか再起業してるんじゃないのかな?」と想像しています。
おそらく、消えていった人たちが振り返らないものだから、後を歩いている僕たちには見えなかったのです。

もちろん「不遇な末路」を歩んでいる方も皆無ではないのでしょうが、もともとフリーランスは「ひとりで勝手にどうにかする」人たちなのですよ。

「多くの人はガシガシ働く人生に見切りをつけて、楽しくて軽やかな労働スタイルにを求めて再起業してるはずだ」と信じたいのです。

ちょうど僕が今、市場から消えようとしているところなのですよ。
とりあえず、ユルい働き方を目指して「再起業」という言葉を当てはめてみました。

何ぶん「セミリタイア」とか「老後」とか初めてなもので、上手く言語化できないのがもどかしいのですが、少なくとも僕はこの体験を、こうしてブログに記録していこうと考えているのです。

何年か後に「フリーランスの人って、なんだかんだでソフトランディングしていくよね」「ググると、いろんなパターン出てくるよ」というふうになってくれると嬉しいのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。