follow hagi.life

計画にこだわらずに、試行錯誤を繰り返してみよう

2019.10.23

こんにちは、萩ドットライフ()です。

長期休暇に入って間もないのに「これから何しようかな」と考えることが増えてきています。毎朝ブログを書きながら、いろいろ考える習慣がついてることも影響してますね。当面はあまり計画にこだわらずに、試行錯誤を繰り返してみようと思っています。

将来のビジョンを職業名で考えても意味ないと思う

先日投稿した「[フリーランスの老後]ちゃんとバテる。ちゃんと休む」という記事で、

以前「フリーランスは老後も稼ぐことが前提です」という記事を投稿したことがありますが、僕は75歳から80歳程度まで、ユルく働き続けたいのですよ。
そのために今、20年後のことを考えているのです。

「20年後75歳の自分が、月額20万円くらい稼げる職業を作りたいな」と思っています。

と書いたように、僕は最近20年後くらいのことを考えていることが多いのですよ。

漠然とではありますが「オレ、75歳とか80歳くらいまで働くんだろうな」と考えているからです。
僕はフリーランスなので、何の保証もない代わりに、定年という概念もないのですよ。

そのために「キツい仕事なんかできるわけないから、趣味みたいなことを収益化しよう」とか「仕事が娯楽になるようにしよう」とか考えているのです。
このブログ内で散々登場している「生産的な趣味」という考え方ですね。

飲み会で「無職になって、1年休んで、その後どうするんですか?」みたいな話をしていたことがあるのですよ。
どういう文脈だったか憶えていませんが、咄嗟に「20年後ビジョンを描いてるのに、今ある職業から選んでもしょうがないじゃないですか」って言葉が口から出ちゃったんですよね。

自分で言った言葉なのに「ああ、確かにそういうことだな」と、妙に腑に落ちたのですよ。

僕は現在、50代半ば。20代でデザイナー職に就き、30代半ばでフリーランスになって、つい最近デザイナーを辞めました。
(参考:デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ

そこそこ長期間の職業人生を送ってきているのですが、年々僕たちを取り巻く環境の変化のスピードが加速している用に感じています。

それに呼応するように、僕の「やりたいこと」「好きなこと」「使命を感じること」も変化していくのですよ。
いろんなことを試したみたほうが楽しい人生が送れそうな気がするのです。

僕がデザイナーになったとき、DTPデザイナーという職業はありませんでした。
DTPで作業し始めたとき、Webデザイナーという職業は存在していませんでした。
軸足をWebに移したとき、ブロガーもユーチューバーもいませんでした。

将来のことを考えるときに「自分は何になろう」と、職業名で考えても意味がないと思うのです。
新しい職業なんて、次から次へと生まれてくるし、また淘汰もされてくる。
自分にとっての、快不快も、善悪も環境変化の受取り方によって、どんどん変わってきます。

「世間の常識」みたいなものを考える余地が、どんどん狭まってきているように感じています。

「あれやる、これやる」言ってるけど、たぶん別のものに落ち着くと思う

20余年前にフリーランスになることに決めて、それまで雇用されていた会社を辞めたときも、いろんなひととさんざん「これから何して食っていくんだ?」「フリーで食えるほど、デザインの実力はあるのか?」みたいな会話をしました。

当時は30代でしたから、いちいち「アドバイスおじさん/おばさん」と向き合っていたのですよ。

以前投稿した「起業はひとりですればよかった」でも書いたように、3人で会社を立ち上げたということもあって「あれやろう、これやろう」と次々とアイデアが出てきてましたし、他人にそういう話をすると「この人を紹介してあげる」「あの人に会っておいたほうがいい」と、次々と人に会うことになって、「あれやる、これやる」の数も増えていくのです。

その場では、本心からそれを「やりたい」と思っているのですよ。
でも、ほとんどがちょっと試してみて「これダメだ」って諦めることになりましたね。
いくつかは、それなりに成果を上げたり、粘ってみたりしたものもあったんですけどね。

結局、僕は他2人の出資金を買い取る形で「ひとり親方」になったし、Webデザインに辿り着くことで、ようやく食えるようになったのです。

たぶん、今回も同じです。

このブログでも、ときどき[思いついてることを記録する]というタイトルで記事を投稿しているように、いろいろと「あれやりたい、これやりたい」はあるのですよ。

でも、それをきちんと計画に落とし込んで、完全に遂行するという気持ちは、それほど強いものではありません。

たぶん、やりたいことをやってるうちに、また別の「やりたい」が登場するでしょうし、自分の関心も変わると思っているのですよ。
関心のあるいろんなことを学習したり行動することが「次の何か」の呼び水になると思っているくらいのもんです。

それが「何か」は、そのときになってみなきゃわかりませんしね。

今こうして、デザイナーを辞めたり、田舎に移住しようとしていたり、20年後のことを考え始めたりしているのは、好奇心をキープするためなんですよ。

たぶん、たどり着く職業名は、そのときどきの結果論だと思うし、これから先の20年間で何度か変わっていくと思います。

自分にあってるものを、もう一度探さなきゃ

このブログ内でも「ゼロに戻す」というタグのついた記事を何度か投稿していますが、いったんこのフェーズを挟むことで、

  • いったん身軽になって、柔軟性を取り戻そう
  • ちゃんとリスク取らなきゃな、失敗するのなんて当たり前じゃん

ということを再認識しようとしているのです。

先日投稿した「[フリーランスの老後]ちゃんとバテる。ちゃんと休む」でも少し触れましたが、30年前、僕は好きでデザイナーになり、もっと「好き」を高めるためにフリーランスになったのですよ。

それが長い年月をかけて「好き」なものが少しずつ変わっていくんですね。
デザイナーに求められる技能も、ずっと変化し続けるので、職業と個人の関係性も変わって当たり前なのですよ。

上述の通り、僕はあと20年くらい仕事と趣味の中間くらいの職業を作ろうと思っているのです。
デザイナー稼業のままでは、持たないと思ったから、いったん辞めたのです。

人の持っているリソースには限りがありますからね。

その上、僕はどんどん老いていきますから、そのリソースもくたびれていくに決まっているのです。
それをあと20年もたせるためには「もう飽きた、もうバテた」「たぶん伸びしろない」と思うことを辞めて、新しいことを試すために集中するべきだと思ったのです。

収入もなくなるし、これまでの人間関係を断つことにもなるし、正直ビビってもいますけど、20余年前にフリーになったときと同じで、やってみなきゃ何もわかりませんからね。

とろあえず、しばらくの間は「オレ・コレ・スキ」を探して、試してみるフェーズを設けようと思っています。
いったん無職になって、1年間休むことにしていますけど、休みの間の暇つぶしとして何か始めるかもしれませんし、1年経ったあとに、あれやこれやとやり始めるかもしれません。その辺は、それほど計画にこだわっていないのですよ。

その上で、試してみて「あ、これいいかも」と感じたものに集中して、調整したり修正を加えたりしながら「生産的な趣味」に仕上げていこうと思っているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。