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上手く自分を躱(かわ)してる感じ

2020.05.24

こんにちは、萩ドットライフ()です。

最近「オレ、今いい感じだな」と思う回数が増えてきています。おそらく自身にプレッシャーを与えようとしてくる自分を、上手に躱(かわ)すことができているからなのですよ。その要因のひとつに、数字を稼ぐことから距離を置いたことがあるのです。

今、いい感じなのです

PCがなくて、手書きで文章を書いている時代だったならば、僕は生涯「躱す」という漢字を使うことはなかっただろうな、と思います。

「かわす」と読みますね。
「身をかわす」の「躱(かわ)す」です。

最近「自分がとてもいい感じでいられてるな」と感じるときがあるのですよ。

もちろん、世間はコロナ禍でバタバタしていたり、ちょっとした買い物に出かけるたびに「マスク忘れちゃった、クソっ」と自宅に取りに帰ったり、面倒くさくてイライラすることも多いのですが、先日投稿した「セミリタイア人の生活考」で書いた「スイカに塩」みたいなもので、しょっぱさが足されている時期だからこそ、そういう感覚を得られるのかもしれませんね…。

もう半年以上、セミ無職になっているので「いっぱい稼いでウハウハだぜぇ」なんてことはないし、外出自粛になる前から、僕を食事に誘ってくれるのはオッサン・オバサンしかいなくなってるし、ずっと山口県萩市と東京を往復する二拠点生活を続けてきただけで、南の島にバカンスに出かけたり山村のコテージで自然に包まれるような感じもまったくないのですが、ここ数年のうちで一番いい感じなのです。

暇なので「それって、どういうことなんだろうな?」と、ずっと頭の片隅で考え続けていたのですが、そこで思い至ったのが「上手いこと自分を躱(かわ)してるからだろうな…」という考え方なのですね。

一番大きな要因は、セミリタイア生活を始めたこと、無職になったことなのですよ。

時間に余裕ができたということもありますが、何よりも「さあどうです? オレを評価してください」ということが無くなったからなのでしょうね。

他人に対して忙しそうな自分をアピールすることもなくなったし、自分の中でも「時間が空いた。何かやることを探さなきゃ」ってこともなくなったからだと思うのです。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと

僕はフリーランスだし、基本独りで仕事をしていたので、常に視界にライバルがいて競い合ったり張り合ったりするような環境ではなかったのですが、無意識のうちに自分を追い込むことがクセになっていたんですね。どこかしらで、そういうのを「カッコいい」とも思っていましたしね。

無職になることを決めたから、そんな自分を上手に躱せるようになったのか? 自分を躱すワザを身に着けたから、無職になることを決断できたのか? 順番はちょっと謎なところがありますが…。

まあ「同時進行だった」ってことなんでしょうかね。

「稼ぐ」という感覚から距離を置く

「稼ぐ」という感覚がなくなったのも、自分が「いい感じ」でいられている原因かもしれません。

フリーランスになって、自分の法人を作ったくらいですから、それなりに金銭的な豊かさは求めていました。

毎月末、請求書を作成しながら、それなりに一喜一憂していたものです。
そこに書かれていたのは「稼いだ」数字ですからね。

日頃は、
「僕はデザインという思考が好きなのです」
「刺激的な仲間たちとチームを組んでいることが楽しいのです」
などと言っていますが、毎月1度は必ず「稼ぎ」を気にするのです。

これでメシを食っているのですから、そういうものなのです。

でも、この「稼ぐ」という感覚、とてもバランスが大切なもので、この感覚が目的化してしまうと仕事が荒れるのですよ。
仕事が荒れるというのは、思考が短絡化しやすくなったり、僕自身がゲスくなってしまうことなのです。

自分で気づくくらいですから、周囲の人も気付いてたりするんでしょうね。

僕も他人の様子を見て「こいつ最近、なんかゲスいな。ダメだ、もうこいつと仕事したくない」って感じることもあるので、やはり外ににじみ出ていくものなのですよ。

と言っても、僕にキャスティング権なんかあるわけないし、NG出せるほどの実力者でもないので、どうにもならないんですけどね。
でも、僕が他人をそう感じているときには、なんとなく周囲の人々も同じ印象を持ってたりするものなんですよね…。

無職になって「手持ちの資産で、最後まで走りきれるかなあ」という恐怖はありますが、今のところそれよりは「稼ぐ」という感覚を持たずに暮らせていることが心地よいのです。

自分自身に「もっと稼げ」「もっと効率を上げろ」みたいなプレッシャーを与えずに済んでますからね。上手く躱せているのですよ。

いま「稼ぐ」という発想で向き合っているものって、せいぜいこのブログのPV(ページビュー)くらいのものでしょうかね?

なんでPVって「稼ぐ」っていうんでしょうかね? テレビの視聴率や、ラジオの聴取率も「稼ぐ」って言いますから、そっち系由来なんでしょうね。

一応、Googleアドセンスも「稼ぐ」っていう認識は持ってますかね。月額1,000円とか2,000円なんですけど、このくらいの「稼ぐ」は残しておいたほうが楽しいですね。

数字じゃないものを目標にしてみる

すべてではないにしても「稼ぐ」って感覚は、数字と密接な関係にあるんですよね。
これを追い続けようとするがゆえに、自分をどんどん追い込んだり、新しい課題を出し続けたり、他人に対していいカッコしたがるのです。

自分の成長にとって大切なことなんですけどね。

ただ、これをオッサンになっても続けているとバテるのですよ。
だんだんと、自分がゲスくなってる回数が増えていることに気付くようにもなるのです。

「焼きが回る」ってことなんですけどね。

以前「風通しの良い場所へ、見晴らしのいいところへ」という記事を投稿したことがありますが、どこかしらで「数字を稼ぐという感覚を、いったん捨てたほうがいいな」と感じてたんですよね。

なので、景色が良くて、季節を感じられる場所で生活することを目標にしてみたのです。

「今月いくら稼いだぞ」とか「どうだ、オレすごいだろ」みたいな、自分を圧迫してくるもう一人の自分を上手く躱すことができるようになると、すごく快適なのです。

もう近々、首都圏の緊急事態宣言も解かれそうな感じがしてきましたね。
買ったまま放置している萩の家を見に行くのが、楽しみでもあり、恐くもあり。

そろそろゆっくりと社会が再起動しはじめるのかな? なんてことを考えていたら「そうだ、オレ今、ここ数年の中で一番感じいい時期なんだった」ということを思い出したのです。

ちょっとずつ、社会のこわばりが緩んできはじめたような気がしますね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。