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決断するスピード感の大切さ

2020.07.26

こんにちは、萩ドットライフ()です。

振り返ってみて「我ながらここで即決できたのは良かったな」と感じる決断って、そのときは浅慮かつ短絡的だったりするんですよね。あとから行動しつつエネルギーを注いで「結果、間違ってなかったよね」という折り合いがつけば、それでいいのです。

僕の独立記念日

ネット上で1997年7月のカレンダーを見ています。
自分の記憶を確かめるためです。

1997年7月21日(月)が僕の独立記念日(=フリーになった日)なのですが、記憶に反してその日は平日ではなく振替休日だったことが発覚しました。

10年間在籍していた会社を退職したときの話は「フリーランスの休み方。セミリタイアと地方移住」に書いていますので、興味があればご参考に。

この1997年7月21日には新宿のBREEにバックパックを買いに行っているのですよ。

BREEはその当時、ヌメ革のバッグで有名なメーカーだったのです。
ヌメ革は長く使うことによって、経年変化によってどんどん味わいが出てくる素材です。

これからフリーで頑張ろうとしている自分の伴走者として、そういう記念アイテムが欲しかったんでしょうね。

バックパックを買ったのは「ビジネスバッグを持って通勤する人生は終わったよ」という意味合いを込めたような…。なんかそんな感じだったと思います。

僕の記憶では「会社に行く必要がなくなった月曜日。平日の新宿で買い物、楽しいなあ」と感じていたはずだったのですが「海の日」の振替休日だったんですね。

人間の記憶なんてそんなもんです。

そんなBREEのバックパックも、20年近い酷使によりボロボロになって何をどうやっても外に持ち出せるコンディションではなくなってしまったので、数年前に捨てました。
ちょうど「新規案件の受注を止めて、無職になろう。セミリタイアしよう」と思いついた頃だったと思います。

もうひとつ自分の記憶を確かめたかったのが「僕、会社辞めます」と告げた日です。

これは記憶通り1997年7月7日(月)でした。

起きるのがツラい月曜日、なぜか早く目が覚めたことを憶えています。
それで「そうだ。今日の朝一でやめるって言おう」と思ったんですよね。

もともと僕は大学を卒業するときに「10年後に自分の会社が欲しい」と思っていましたし、そのことを経営者や上司にも伝えていたのです。
(参考:会社に自分のキャリアプランを委ねるって、ムリですよね

だから「今年がその10年目か。いつ言おう?」という状態ではあったんですけどね…。

時代のせいなのか、その会社がだらしなかったのか、就業規則が「ない」もしくは「共有されていない」会社だったのですよ。なので労働基準法で定められているように「2週間後に退職します」と伝え、そのスケジュールがそのまま受け入れられたのです。

その日に「辞めます」って言っていなかったら、その後の人生は大きく変わってたかもしれません。

もしかしたら今ごろ「新卒の頃は、10年で自分の会社作るなんて思っちゃっててさ」なんてことを言いながら、その会社で定年を待つオッサンになっていたかもしれません。

決断のスピード感

新型コロナの影響で、未だ経験したこともない経済活動の停止と不況が起こっています。
人々の行動様式や外見も一変しました。

「もしかすると、戦時下ってこんな感じなのかな」なんてことも想像してみたりします。
多くの人が同時に転機を迎えてるんですよね。

奇しくも僕の場合は、新型コロナが人々の話題になる前から「無職になって、東京を離れ地方に移住する」という人生の転機の真っ最中だったのです。

こういうときって、決断のスピード感ってものすごく大切だと思います。
そうしないと物事が止まってしまうのです。

物事が止まってしまうと、その間に状況が変わってしまい、行動を起こす前に「考え直し」のフェーズにひきずりもどされちゃうんですよね。

結局なにもしないうちに、どんどん時間が過ぎていくことになりかねないのです。

ここ数ヶ月の間に僕がしたワリと大きめの決断は、

の2つなのですが、萩の古民家を購入したときには、内覧中に「ここ買います。売主さんに連絡してください」と告げました。
移住支援センターの担当者は「ひと晩くらい、ゆっくりお考えになった方が…」とおっしゃってましたが、考えるとまた止まってしまうと思い「進めてください」ということにしました。

なんせ築55年の物件ですから、粗が見えないワケじゃないのですよ。
でも、立地も建物も「許容できる」範囲に収まっていたので「あとは決断してから考えよう」と思ったのです。

東京のマンションの売却を決めたのも、その日のうちでした。

もともと「賃貸に出すか?」「売却するか?」で迷ってはいたのですが「気が向いたら、また自分の家として使えるし」という理由で賃貸に傾いていたのですよ。
過去には「フラット35で住宅ローンを組んでいれば、賃貸に出せるようです」なんて記事も投稿していますしね。

なんとなく「コロナ大変だなあ、株価がボロボロだなあ、そのうち不動産価格にも影響するだろうなあ」と考えているうちに「ヨシ、売ろ」と思ったのです。

その1時間後には3社の仲介業者に、Webから査定依頼をしていました。

まずは決断して。折り合いは後からつければいいのです

「あれ? こんなこと前にも書いたな」と思って過去記事を検索してみると、ついこないだ「新型コロナのおかげで、決断できたこと」なんて記事を投稿してましたね…。

朝の起き抜けに思いついたことをダーっと書くというスタイルにしていると、往々にしてこんなことが起こりがちですね…。まあいいや、そのまま書き進めます。

おそらく、あのタイミングで萩の古民家を買っていなければ、そのまま緊急事態宣言に巻き込まれ「もうちょっと待って、コロナが落ち着いてから家探しを再開するか」ということになっていたはずです。

ちょうど今くらいのタイミングで家探しを再開していたかもしれません。

当然、まだ移住先がないのですから「東京のマンションを貸すか、売るか」なんてちゃんと考えて決断に至ることなんてありません。

ここからは単なる妄想なのですが、そうこうしているうちに夏が過ぎて秋が来て、再び新型コロナによる「重傷者・死亡者」が世界的に増え(今は、陽性者は増えていますが、重症者・死亡者は落ち着いているように見えますね)、株価が二番底に向かい、今度は不動産価格も連動して下落を始めると、今回売却できた価格では売れなかったかもしれないのです。

当然その逆も考えられて「経済対策でどんどん市場に供給されたお金が不動産市場に流れ、東京の不動産価格が上昇」ってことも無きにしもあらずなんですけどね。

このあたりは万事、塞翁が馬なので、概ね「満足できる」と「諦めきれる」の範囲に収まっていればオッケーなのです。

フリーランスになるときにしろ、セミリタイアを決めたときにしろ、この2件の不動産売買にしろ、僕は「ここで決断できてヨカッタ」と思っています。

僕自身が、一度悩み始めると決断を先送りしがちな性格なのですよ。
現に決断できなくて、行動に至らなくて、今でも後悔していることなんて、いっぱいあります。

浅慮かつ短絡的でも構わないから、とにかく何かを決断して行動に移してみて、そこにエネルギーを注ぎつつ折り合いをつけて「結果、間違ってなかったことにする」くらいがちょうど良さそうなのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。