follow hagi.life

友達価格は、ちょっと多めに払うくらいがいい

2020.11.30

こんにちは、萩ドットライフ()です。

友達とは、肯定したいし応援したい存在なのですから「安くしてくれよ」はありえないと思っています。むしろ「少し多めに払うからガンバレ」くらいでちょうどいいのです。そう振る舞えるコミュニティに身を置くことが、人生を豊かにしてくれるのです。

「友達だから安くしてよ」?

わりと世間一般で言われがちな言葉ですよね。
「友達なんだから安くしてよ」とか「友情価格でお願いします」みたいなのって、これまでの人生で何度聞いてきたことか…。

当然、僕も言われたことありますが、言ってきた人で今も付き合いのある人はひとりもいません。

と、ここまで書いて「あれ、前にも友達価格について書いたことあるぞ」と思って、過去記事を検索したら1年以上前に『「友達価格」問題について考える』という記事を投稿していました。

今日書こうとしていることは、これとは少しアングルの違うものになろうかと思います。

先日投稿した「セミリタイア人にとっての、季節ごとのタスクと余白」という記事で、

クルマも中古車屋を営んでいる高校の同級生に発注しました。
「軽トラか箱バン、良さそげなやつあったら手配して。メーカーと色にこだわりなし」という雑な発注です。値段も彼の言い値をそのまま飲むつもりです。

なんてことを書いているのですよ。

いつものごとく、あまり深く考えずにアタマの中に浮かんだ言葉をダーっと文字にしているだけなのですが「彼の言い値をそのまま飲むつもり」なんてことを書いたのも、絶対に「友達なんだから安くしてよ」なんてことを言いたくないという心理が働いてるんだろうな、と自分で思った次第です。

萩に移住することが決まって、家を買ってまず依頼することになった、設備関係の更新と外壁の補修も、高校時代の友人が勤めている会社に依頼しました。

そのときも、見積もり通りに依頼し、請求通りに支払いました。
なんだか値切ったり、価格交渉をはじめることがイヤだったですね。

当然、設備にしろ車にしろ、僕が専門知識を持っていないということもあります。
知識がないのに、あまり「高い安い」言えませんよね…。

事前の打ち合わせで、高額でも構わないから良いものを使いたい部分、コストを抑えたいから普及品で構わない箇所みたいな話はしましたけどね。

そのあとは全部「言い値でオッケー」です。

「ちょっと多めに払うよ」が友達価格

友達価格というもの自体を否定しているわけではありません。
「どうせなら、こいつを信じて仕事を頼みたいな」「こいつのやってる仕事、応援しよう」という気持ちから案件を発生させているので、むしろあって当然だろうとすら思います。

ならば、話は逆ですよね。

「友達なんだから、安くしてよ」じゃなくて「友達なんだから、多めに払うよ」のほうが真っ当だと考えるのです。

でも「10万? そんなこと言うなよ、12万払うよ。友達だろ」みたいな会話をするのも、ちょっとしたイヤミを感じられるし、こそばゆい感じもするので「オッケー、すぐに振り込むよ」くらいがちょうどいいような感じがしますね。

僕はこのたび38年ぶりに生まれた街・山口県萩市に移り住んできました。

その前に二拠点生活をしていた頃からなんとなく感じていたのですが、「友達経済」とか「コミュニティ経済」みたいなものの色合いが、都市部よりもちょっと濃い感じがしますよね。

正直、まだ萩市民になって日が浅いので、その中での人間模様とか信頼の構造みたいなものをちゃんと把握できていないし、何十年も暮らしている人たちでも、自分が属していないコミュニティの様子は噂レベルでしかわからないようなものなのでしょうね。

なんとなくそんな気がします。

まずは、僕がアクセスしやすいコミュニテイ経済圏の中に身を置いてみました。

こんな時代ですから、何から何までネットで見積もって、最安値のコストであらゆるものを調達することも可能なのでしょうが、せっかく田舎暮らしを始めた以上、少しは地元経済に寄与したいという意思はありますしね。

そして、それがコミュニティの一員となるのに手っ取り早い気がしたのですよ。

ギバーでいられるコミュニティが人生を豊かにしてくれる

なんとなく、地域経済のことも考えているのです。
「企業を誘致して雇用を」とか「国から補助金をたんまりと」「名産品を開発して都市市場を開拓」みたいな振りかぶった感じのヤツじゃありません。

もうちょっと小分けにしたヤツ。前項で書いた「友達経済」とか「コミュニティ経済」みたいなことですね。
当然、僕が思いを巡らせるまでもなく「飲み会やるときには、同級生の店」とか「車ぶつけたから、友達の工場に修理頼もう」みたいなことはいろんなところで自然になされていますよね。

そこで「友達なんだから、ちょっと多めに払っとこ」くらいの気持ちでいたいのです。

気心の知れたコミュニティ内では、そういう意見を意図的に表明していこうと思っています。
あまり、カッコつけた感じになったり、「上から」感を出さないようにね。

そうして、友達経済圏・コミュニティ経済圏で動くお金の量を増やすことに寄与できれば、ウレシイのです。

前述の通り「多く払うよ」はイヤミなので、「言い値で払うし、値切らない」くらいのところに着地するんでしょうし、地域経済に与える影響は微々たる量ですけどね。

でも、そういう考えで動いているコミュニティは、気持ちが良くて居心地のいい場所だと思うのですよ。

もちろん「言い値でオッケー」なコミュニティにはよそから近づいてくる人も多いでしょうし、常に受け取る側に回ろうとする人も出てくるでしょう。
必要以上に高値を要求してくる人も、やたらめったら人と人との間に入って仕事を仲介したがる人もいるでしょう。

でも、そういう人たちはだんだんと距離を置かれ始めるはずなんですよね。

もう2年以上も前に「ギブ・アンド・テイクについて考え方を整理する」という記事を投稿したことがあります。
その中で触れた「ギバー(人に惜しみなく与える人)」の役割を担ってみようかな? と思えるのが、友人・知人コミュニティの中だと思うのです。

どうしても「地方経済は疲弊している」と紋切り型の解釈をしやすいし、そういうマインドが蔓延するとみんなが「テイカー(真っ先に自分の利益を優先させる人)」化しやすくなるのが当たり前だと思います。

みんな若いころからずっと、いろんなところで「まずは、自分がギバーとして振る舞うべき」だと聞かされているはずなのです。
でも実際にそう振る舞うことって、なかなか困難ですよね。

自分が「沈みゆく船に乗っている」と感じているときには、特にそうです。
最後にババを掴んでいたくありませんからね。

でも「このコミュニティの中ならば、自分はギバーでいられる」というスポットをいくつか持つことが大切だと思うのです。
そこから生まれてくる「信頼」とか「応援」の気持ちが、暮らしを豊かにしてくれると考えるのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。