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楽観的に振る舞って、運を上げる

2021.01.16

こんにちは、萩ドットライフ()です。

積極的に「オレは運がいい」と言うことにしています。自分で「運がいい」と思える準備をしていないと、決して運は良くならないと思うからです。運とは、動いたり、考えたりしながら、いろんな要素を寄せ集めて組み立てるものだと考えているのです。

僕は運がいいです

僕が暮らしている山口県萩市では、現在、

がんばろう萩!小規模事業者事業継続支援金(エール支援金)

という制度を実施していて、申請すれば一事業者(法人・個人)あたり10万円の支援金が給付されるようです。

申請方法は、窓口に行く方法と郵送の二つで、ネット上で完結するわけではないんですね…。

押印も求められています。
しかも、用紙を見る限り「社印? それとも、代表者の個人印?」と不明な箇所もあったり、添付書類に「その他市長が必要と認める書類」なんて記載があったりしますので、窓口に赴いたほうが話が早そうです。

でも10万円給付されるのはありがたいので、近々申請に行ってこようと思います。

昨年も、特別定額給付金10万円(個人)と、持続化給付金200万円(法人)を頂いていますので、非常にありがたく感じています。

この数年間をかけて、無職になりました。
新規案件の受注を断り、受け持っている案件がクローズするごとに、一歩一歩と無職に近づいてく体験をしたのです。

自分で計画して自分で行動していることであり、「大丈夫、計算はできてる」なんて思いつつも、やはり稼ぎがなくなると不安でビビるものなのですよ。
(参考:セミリタイア・ブルー。収入が月20万円を下回りました

そんな中、ちょうど収入が限りなくゼロに近づいた年度に計220万円も給付されるなんて「絶妙なタイミングだったな」と思っています。
僕自身は職業人ではなくなっても、所有している法人にはコストが掛かり続けますからね…。

そもそも、僕は運がいいのです。

まともな美術教育を受けておらず、工学的な技術の素養もないまま飛び込んだ、Webデザインという世界で四半世紀にもわたってメシを食い続けることができ、自分の意思で引退時期を決められたことが「運がいい」以外の何ものでもないと思っています。

周囲の人々に助けられていることを、強く強く認識しています。

今回のコロナ禍に関しても、いろいろとスケジュールや行動に影響はありましたが、反面このような給付金にありつけたこともあり、一概に「暗黒の1年だった」とも言い切れない部分もあります。

この1年を暗黒にしないためにも、どこかしらに「オレは運がよかった」と思える部分を見出そうとしてるんでしょうけどね…。

運の要素って、複合的なんですよね

過去にも、

なんて「運」にまつわる記事を投稿していますが、本当に調子に乗ってるときって、あまり「オレは運がいい」なんて思わないんですよね。

自分がちょっと良くない状態になり始めたときに考えることなのだと思います。
現在の僕の場合、昨日投稿したように「生活パターンが固定化しつつあるなあ」と思っていたりして、ちょっとしたブレイクポイントを求めているときに「大丈夫、オレは運がいいんだから」みたいな考え方をしがちですよね。

当面、今は目の前に支援金の話がありましたので、それを引き合いに出して「運がいい」ってことにしてみましたけれども、いまいち「運」って捉えどころがないんですよね。

突き詰めていくと「運がいい」と認識できるかどうか、自分の側の問題でもありそうです。

駆け出しの頃は「運がいい」って言われると、少しムカッと来てましたしね。
なんだか「それ、あなたの実力じゃないよね」って言われてるような気がしてたんですよね。

運を上げるためには、いろんなものを「運がいい」と思える準備をしていることが必要なのだろうと思っています。
そうしておけば、SNSに「給付金、おせーよ」と書く人ではなく、「このタイミングで給付金。ありがたいな」と思う人になれるように思うのです。

そのために、つね日頃から自分で準備しておくべきことってあると思うんですよね。
ざっと思いつくところを挙げてみると、

何かしらの行動をし続ける

自分が好きなこと、やりたいことって、必ずしも「こう動けば、こういう成果が得られて、こんな気分になります」って決まってるものじゃなかったりしますよね。
自分が実際に動いてみることによって、偶然であった出来事や人、環境に対する思いって強まるのです。

偶然起こった出来事でも、あたかも運によって巡り合わされたような感覚になるんですよね。

感じたままを、正直に受け取る

自分に合いそうと思って始めた事も、会ってみた人も「やっぱダメだわ」ってこと、ありますよね。
そういうとき「なんかオレ、失敗しちゃったな」って落ち込むんじゃなくて「こんな事、こんな人。自分には合わないことが判ってプラス1」くらいの感覚でいたほうがいいと思います。

「早めに察知できて、うまくかわせた」は「運がいい」のです。

感謝を口にする

「ありがとう」「すげぇ助かった」「抜群っすね」みたいな言葉、いつも使ってると、口癖みたいになって、意識しなくても口から出るようになりますよ。
ニュアンスはちょっとアレですが、こういうのって相手に感謝を伝えると同時に、「この人のおかげで、オレはうまくいった」という事実を自分に刷り込むための儀式でもあるんですよね。

たとえばコンビニのレジだっていいじゃないですか。
なんのトラブルもなく会計を済ませて、欲しいものが入手できたって「運がいい」ことなのですよ。

楽観的に振る舞おう

こういうことを繰り返していると、だんだんと自分の中に「運がいい自分」ができあがってくるような気がしています。
前述の通り「運がいい」と認識できるかどうか、自分の側の問題なんですよね。

いま世間は新型コロナ禍で大変です。

多くの人にとって、この状況は大ピンチなのだと思います。
なかにはステイホームの影響で、業績を伸ばしている業界もあるようですけれどね…。

こうの状況下で「運」と巡り会えることができるのか? 「運」を見つけ出すことができるのか? で、全然気分が変わってきますよね。
人に会えないことは、自分で何かに取り組むチャンスだし、ステイホームで外に出られないことは、もう一度住環境を見直すチャンスなのですよ。

明らかに追い込まれている状況で、楽観的に振る舞えることがものすごく大切なのです。

結局、運の良し悪しなんて、自分のさじ加減なのですよ。
決定権は自分にあるのです。「オレは運がいい」と思ってりゃ、それでいいのです。

ただ、何もしてくて運が上がるってことはありません。
動いたり、考えたりしながら、いろんなパーツを寄せ集めて、自分でこさえていくものなのだろうと思うのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。