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何歳になってもコンプレックスを克服できない

2019.03.21

最終更新日:2019年06月07日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

コンプレックスがあるのですよ。上手にバネにとして使ったり、見えないところに隠したりする術(すべ)は身につけてきたはずなのですが、最近その存在を強く感じ始めているのです。「今なら克服できるかもしれない」と思い始めてるからかもしれません。

オレってニセモノなんだよな

ずっと、自己否定とか自己嫌悪のようなものと向き合い続けてるような気がするのですよ。
理由は明確で、僕が「モグリのデザイナー」だからなのです。

僕はフリーランスのWebデザイナーです。30代半ばにフリーになりましたが、会社員時代を含めるとかれこれ30年にわたってデザインを生業としてきています。
だけど、どこかしらに常に部外者感を抱いているし、「えっ、こんな基本的な手法も知らないの?」と無知を指摘されることを恐れているのです。

原因は、僕が美術教育を受けていないことにあります。

僕は体育学部卒なのです。美大芸大もしくは美術系の専門学校を出ていないのですよ。
サラリーマン時代にOJT的に訓練は受けましたが、おおむね独学だし我流なのです。

「どんな業界にも、そんな人いっぱいいるじゃん」だし「20年以上もフリーでメシ食っといてモグリはないでしょ」でもあることは重々承知しているのですが、それでも僕にとっては、ずっとコンプレックス(劣等感)なのです。

このコンプレックス。自分を苛むだけではなく利点もあって、他人から「ちゃんとデザイナーとして評価されてる」という同意を得たくて、頑張ってこれた部分もあります。

たとえば「即レス対応」なんかもそうです。もともとは、意図的にやってたんですよね。
ちゃんと美術教育を受けていないデザイナーだというコンプレックスがあったから「反応が早いデザイナー」だと思われたかったし「クライアントの相談に軽く乗る」「一緒に調べ物に付き合う」デザイナーだと思われたかったのですよ。

同様に「電話口で笑ってる」とか「ミーティング中、楽しそうにしてる」といったことも、意識してそう振る舞っていました。

当然、問題解決に対する思考も、ビジュアルを作り込んでいくスタイリングも「少しでもレベルの高いものをアウトプットしよう」と思っていました。
「この程度?」と思われたら、自分がモグリであることがバレると思ってたんですよね。

50代半ばになった今でも、どこかしらに「オレってニセモノなんだよな」と思ってる部分は残っています。
上記の「意図的にやってた」ことの幾つかは、無意識のうちにできるようになってるから、なんとなく自分の中で折り合いがついてるようにも思いますけどね。

確かに「運」には恵まれた

思い返せば「あれもこれも、たまたま巡り合わせが良かったんだな」と思うことばかりなのですよ。
この「運」に関しては、僕の中でまったく矛盾した考え方も持っていて「運とは、努力と機会のマッチングシステム」だとも考えているのです。
(参考:あまり「運」って言葉、使わないほうがいいのかなあ

が、やはり自分の人生を振り返ると、自分の能力以上のものを得ているように思えて仕方ないのです。

僕はフリーになって、最初の2年間くらいは舞台公演のプロデュースに没頭してたのですよ。
これも「モグリ」でした。初演から企業メセナ協議会の助成認定制度の対象になったり、複数のマスコミに取り上げられたので、なんとなく「上手く行ってよかったね」みたいな感じになりましたが、僕自身は借金まみれになりましたね。チカラが足りなかったんですよ。

そのため、かなりヘコみながら「本業のデザイナーに専念しないとな…」と思うに至るのですが、そこで役に立ったのが、舞台公演の仕事のかたわら少しずつ学習していた、というか遊んでいた「Web」なのですよ。
当時、不況でかなり印刷物の受容が減ってたんですよね。
いろんな「外注デザイナー募集」みたいな掲示板みても、ろくな案件がない。

そこで意を決して「Webで行くか…。まだ自社のショボいサイトしか作ったことないけど、見切り発車しよう」と、行動し始め、そこで出会った人たちとの延長線上に今もいます。

  • 舞台公演のプロデュース業が、そこそこの収益になっていたら
  • すぐにグラフィックデザインの仕事にありつくことができていたら
  • Webに興味をもっていなかったら

決して、今の状態にはなっていなかったと思います。

あと付けの理屈になりますが、当時、グラフィック(印刷)デザインができて、かつWebもできる人って少なかったんですよね。
特に僕は、写植経験もありましたし製版所とやりとしした経験もありましたから「モグリのデザイナー」ながら、いろんな場所で会話に参加できたり、意見を求められる存在になれたのは、本当に「運」だと思います。

オッサンになるとあまり口にできないのです

若い頃は「僕なんて、モグリみたいなもんですよ。美大芸大出てないんですから」って、よく冗談っぽく言ってました。
これって「そんなことないよ、ちゃんとやってるじゃん」って言われたがってたんですよね。しかも「みたいなもん」って付けてるのが、ひとカケラのプライドですよね。

まさに汗顔の至りです。
たぶん周りの人たちは「ウルセーコノヤロー。ぶん殴るぞ」って思いながらも「そんなことないよ」って、僕が欲しがってる言葉を言ってくれたんでしょうね…。

ただ、自分が歳を重ねてオッサンになると、そういうことも言えなくなっちゃうんですよ。
聞く側に周りますからね。

その上、だいたい仲間内ならば仕事量で収入とか分かっちゃうし、住んでるところや持ち物、選ぶお店でなんとなく金回りって分かっちゃうんですよね。
そうなってくると、たとえばプロダクションの若手のサラリーマンデザイナーのいる席で「僕なんて、モグリなんすよ」って口が裂けても言えませんよね。

コンプレックスを隠しながら、そこそこのカッコを付けた会話をすることになるのです。

単体でもう一回やってみないと証明できない

「このまま、コンプレックス抱えたままじゃ、ちょとキツいな」と思ってるのですよ。
自己嫌悪も自己否定も、自分を再構築したりアップデートするために必要な要素ではあるのですが、どこかで克服しなきゃいかんと思ってるのです。

もう1回、デザイナーじゃないヤツで、かつ、これまで一緒にメシを食ってきたメンバーから離れて、自分単体でトライアルしてみたいのですよ。
「自分は、ちゃんと才能があり、正しい努力をしたからデザイナーをやってこれたんだよ」と証明したいのですよ。
このブログの至るところで書いている「また何かの初心者になりたい」に帰結するのです。
(参考:「また何かの初心者になりたい」を再考する

なんか、自分の人生の中のそういうタイミングなんですよね。
ずっと、こうして考えてると「楽しい方に向かってる」とも思うし「苦しいものから逃れようとしてる」とも感じる。
でもこれ、40代のときだったら後ろを振り返ることなんて思いもよらないし、60代になると「さ、これから死に物狂いで取り組んでみよう」って気力ないかもしれないと思うのですよ。

こうやって、新しい方向へ向かうことで、また新たなコンプレックスを抱え込むことになるかもしれませんが、「とりあえず、ちょっとやってみるか」の最中なのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。