follow hagi.life

せっかく、何をやってもいい時間だらけなんだから

2021.01.26

こんにちは、萩ドットライフ()です。

しっかりと自分を律したセミリタイア生活を送ってると思います。新型コロナ禍の影響で、行動が制限されてるという事情もあるんですけどね。半分くらいは「いいぞ」と感じ、もう半分は「偶発的な出来事がなくて、なんかつまらないな」と思うのです。

だらだら過ごす時間って、あったよね

何人かの友達どうしだったり、友達が連れてきた人だったり、通りすがりの人だったりが集まって、特にテーマも時間も決まってないままにだらだらと喋り続けていた体験って、ありますよね。

子供のころは、割と多かったけれども、大人になるにつれだんだんと減っていったような気がします。

最後にそんな時間を過ごしたのは、30代半ばくらいじゃなかったかなあ? ちょうど僕がサラリーマンをやめてフリーランスになったころ。
東京の江戸川区というところに自宅兼作業場のマンションを借りて、会社を設立したころです。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう

すぐ近くに焼き鳥屋があったのですが、いっとき夕方くらいからそのマンションの住民が集まってダラダラ飲む習慣があったんですよね。

マンションは「玄関からバルコニーまで全面フラット(=バリアフリーマンション)」を売りにしてした物件で、車椅子の人も多かったのですよ。
そして、焼き鳥屋は手狭なお店だったので「集まる」と言っても、お店の前の道路にいくつかの縁台を出してもらって、それをテーブルにして飲んでました。

なので、打ち合わせ帰りとかに、そこを通りかかると「仕事終わり? 飲もうよ」などと声をかけられるのです。
早い話が「捕まっちゃう」んですよね。

「うん、いったん荷物置いて、メールチェックしてから戻ってくるね」などと言いながら、週に複数回お酒を飲んでいた時期がありました。
ぜんぜん仕事がなくて暇でしたからね。当然、お金もなかったんですけどね…。

知らない人が入れ替わり立ち替わり参加してくるし、話題も次々と変わっていくし、いろんな偶発的な出来事や気付きや学びみたいなものが多かったですね。

どういうわけだか、途中からやらなくなっちゃったんですよね。

道路で酒盛りしていることを咎められたからなのか?
いつも最初に飲み始めてて、通りがかりの人を「捕まえる」人が引っ越しちゃったからなのか?
保険屋さんとか健康食品を扱ってる業者などが接触してきたからだったか?

たぶん、それらの複合なんでしょうね。
「この日からパタッと」という感じじゃなく、だんだんとフェードアウトするみたいにその習慣はなくなりましたね。

僕も仕事が増えて来はじめて、なかなか参加できなくなってましたしね。

時間を有意義に過ごすことは正しいのか?

自分が「忙しい人」になってしまうと、だんだんとコミュニケーションに効率とか意味を求めるようになってきてしまうんですよね。
仕事関係じゃない人とのコミュニケーションにも、です。

友人・知人から電話がかかってきても「目的」とか「速度」を求めるようになってしまって、前項のような「なんとなくだらだら喋る」ということができなくなってしまうのですよ。

たまの飲み会がそんな感じの場になることもあるのですが、基本的に仕事関係の人を中心に集まりますからね。
テーマが狭まってしまって、偶発的な飛躍とか広がりを体験することってあまりないのです。

当然、自分の暮らしにも効率を求めるようになりますよね。
僕がフリーランスだったので、業務と日常生活の垣根がなくて、つねに混ざりあった状態だったからかもしれません。

極端な言い方をすれば、常に課題を意識して、それと向かい合うような生活。「今やってるこれは、何の役に立つんだ?」みたいなことばかり考えてたように思います。

以前投稿した「フリーランスは自分自身を経営しなくてはならないでも触れましたが、僕は極端に「休み下手」だったのです。

この感じが、セミリタイア人となった今でも残っています。

半分くらいは「いいことだ」と思ってるし、もう半分は「せっかくセミリタイアしたのに、有意義に時間を過ごす必要って、ある?」と感じているのです。

食事時間を基準にする生活

毎日こうしてブログを書いています。
朝起きたら、まずは「何かをちゃんと考える」をすることにしてるんですね。

週に3・4日は朝ランに出かけます。
先日「身体が鈍(なま)ると、頭が錆びる。人は老いる」という記事を投稿したように、僕は健康を維持できないと、せっかくのセミリタイア生活が台無しになってしまうと考えているのです。

午前中にお風呂に入って、ときにはネットニュースを読んだりYouTubeを観たりしていますが、多くの時間を第二種電気工事士筆記試験の学習をしたり、問題集を解いたりして過ごしています。
いまのところ「毎年、何かの入門者になるようにしよう」なんてことを考えてますからね。

なんかしら有意義なことをして過ごしてるほうが、生活の満足度が高いのですよ。
「別にだらだらと過ごしても、誰も困らないんだけどな」なんてことも思うのですが、どうしても「有意義なこと」を求めてしまうのですよね。

食事の時間も決めています。
これまた「お腹が空いたら何か食べればいいい、空かなければ何も食べなくてもいい」にも関わらず、です。

朝ごはんは食べないので、お昼を11時から12時くらいの間に食べ、夕飯を5時から6時位の間に食べはじめます。

この食事時間が、生活の基準になってるんですよね。
新型コロナ禍で他人と待ち合わせて食事に行くことがなくなりましたからね。

ずっと「あと○分でお昼か、ならばこれをやって暇を潰そう」「夕飯までまだ○時間あるのか、その間にどこそこへ行ってこよう」みたいなことを考えています。

上手く時間を使えずに、決まった食事時間がズレるのが嫌なんですよね。

偶然出会うものが減ってくる

割と「ちゃんと自分を律することができてるな」とは思います。
同時に「なんだかつまんないな」とも考えるのです。

理由はなんとなくわかっていて、最初の項で触れた「偶発的な出来事や気付きや学びみたいなもの」との出会いが減ってるからなんですよね。

今が冬だからということも影響しています。
いま住んでいる家に越してきたばかりの、毎日木の枝を切ったり、草をむしりながら生活していたときには、いろいろと感じることもあったのですが、今は寒いのであまり庭に出ませんし、作業場も庭が見える部屋から見えない部屋に移動してしまいましたからね。

余白を埋めてくれるものに変化が感じられないんですよね。

そうだ、最近は近所の公園に散歩に出かけることもしていませんでした。
年明けくらいから、雪や雨が多かったですからね。

生活の足が、自転車から車に変わったことも影響しているのかもしれませんね。

おそらく僕は、ほっとくと生活にパターンを作りがちだし、役立つことを求めがちなのです。
せっかくセミリタイアして、たくさんの「何をやってもいい時間」を獲得したのだから、ちょっと意図的にだらだら過ごすことも心がけてみたほうが良さそうだな、などと思っているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。