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調子のよさに気づく方法

2021.03.30

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ふだん、調子の悪さは意識しがちですが、良いときってなかなか気にしませんよね。日常的に繰り返していることの感じ方によって、調子の良し悪しに気付くことがあります。習慣を持つことって、自分の中にものさしを作るようなものだと思うんですよね。

増える習慣

週のうち3・4回は朝ランに出かけています。キロ7分くらいのペースでテクテク走っています。
かれこれ10年くらい続けている習慣です。

毎朝起きたら、こうしてブログを書いています。
先日投稿した「ブログを書く習慣がついて、自分との向き合い方が変わった」でも少し触れましたが、そろそろ開設1,000日目を迎えます。

セミリタイア構想が、なんとなく周囲の人々に受け入れらたような感触を得て「もう誰も説得しない。自分の感覚で動く」と決めたことをきっかけに書き始めました。
毎朝起きて、まず頭を動かすための習慣としています。

最近、1日の大半を、第二種電気工事士の試験勉強時間に費やしています。
年明けくらいから、定期的に参考書を読んだり、過去問に取り組んだりしてたんですけどね。

先日、令和3年度上期試験の申込が開始されると同時に申込み、試験料も払い込んでしまいましたので「ちょっと本気出さなきゃな」と、ギアチェンジしたところです。
(参考:セミリタイア人が求める達成感

とくに電気工事士という職業に興味があるわけではありません。前から、技術と知識に関心を持っていたのです。

せっかく職業を失ったのですから、役に立たなくても関心のあることと向かい合い続けたいのです。
毎日もしくは週に数日は、新しい知識をインストールする作業を継続していく習慣が始まったところなのです。

習慣って調子チェックなんですよね

こうして、毎日もしくは定期的に同じことを繰り返してると、調子が分かるんですよね。

たとえば朝ランならば、まずは「体調」。
「なんか身体のバランス悪いなあ」とか「膝、股関節…。どこかしらに痛みがあるな」みたいなことも当然感じます。

それ以外にも、市街地を抜けて海沿いに出るときに、ちょっと空気の感じが変わったり、海岸沿いを走りながら心地よさを感じるかどうか、景色を美しいと感じるかどうかなどでも調子の良し悪しがわかるのです。

走りながら景色を観ても、何も感じないし、視界にあるものすら認識できないときって、何かしらの理由で感覚が閉じてるときなんですよね。

ブログを書いてても、起き抜けにピタっとテーマが決まったり、全体の構成をまとめながら文章がスラスラと出てくる日は調子がいい日なのです。

最近始めた、新しいことを学ぶという習慣に関しても、同様です。
これまでの人生のなかで、何度も繰り返してきた「よく分かってなかった、あれって、こういうことだったのか」って、モヤモヤが晴れる瞬間の快感ってありますよね。

セミリタイアすることで、あの感覚を失いたくないから「定期的に、何かの初心者になり続けよう」と思っているのです。

この辺りに関しては以前投稿した、

をご参考に。

「なるほどそういうことか、わかったぞ」がおとずれる日も、調子のいい日なんです。

体調良く、機嫌よく、暮らすのがいちばん

ここで「毎日、自分の五感の豊かさを確かめるのって、大切ですよね」と書こうとして、ふと「あれ? 五感ってなんだっけ」と思い、ググってみました。

五感:
五感(ごかん)とは、動物やヒトが外界を感知するための多種類の感覚機能のうち、古来の分類による5種類、すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚をさす。この伝統的な分類を前提として、人間の感覚全体を指すために「五感」という表現が用いられる場合もある(「五感を鋭くする」など)。
出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/五感(2021年3月30日現在)

そっか「人間の感覚全体を指す」ものなんですね…。
でも、なんとなくこの感じですね。

感覚が豊かだからこそ、いろんなことに気づけたり、何かしらを思いついたりするんですよね。
そのためには「体調よく、機嫌よく」暮らせることが前提だと思うのです。

体調も機嫌も、いいときには気づかないのですよ。
「お腹が痛い」とか「なんかムシャクシャする」みたいに、悪くなってから気づくものなんですよね。

だから、いつも「ちやんと確かめよう」と思っている必要があるのです。

それが僕の場合は、いまのところ「朝ラン」「朝ブログ」「何かしらの学習」ってことになっています。

ものさしなんですよね

「調子がいい」って、

  • 体調がよく
  • 機嫌がよく
  • 感覚が開いてる

状態を指すような気がしています。

感覚が閉じてると、目に見えてること、耳に聞こえてることから、何も感じなくなりますよね。
「見えてること」と「見えてるものから何かを感じること」って、外からは分かりませんけれども大違いなのですよ。

海だろうが、風だろうがなんだっていいのですが、日ごろの暮らしの中で自分の調子を計るための「ものさし」を持っておくと、なかなかいいです。

「この景色は、自分の調子を計るためのものさしだ」と認識しておけば、そこを通るたびに感覚を開くことが習慣になるんですよね。

ほんとうにダメなときは「この景色は自分のものさしだ」ってことすら見失ってますけどね。
このブログだって、調子の悪いときには、途中で何も感じないままに「とにかく走り切ることだけが義務」みたいな感じになってしまっています。

反対に、別の何かいいことがあって、浮かれてるときにも見失っちゃうものなんですけどね。

前項で「体調も機嫌も、いいときには気づかない」と書きましたが、日常のどこかに「ものさし」を設定することで「いいとき」に気づくことができるようになります。

気づくようになるとなんとなく「調子いい日が多いな」と感じるようになるのですよ。
年がら年中「なんか調子悪いな」って言ってるよりも、そっちのほうがいいですよね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。