10年前の自分との答え合わせ
2019.08.26
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。定期的に「人生の答え合わせ」をすることって、大切なのでしょうね。あまり重要度を感じないままに、こんなことを考えてることが多いのですよ。もともと「正解がないもの」だとは分かりつつも、これから先の道標になってくれるような気がするのです。
なんとなく、10年前の自分と向き合ってみる
なんとなく、10年前くらいに考えていたことの答え合わせをするタイミングに来ているような気がするのですよ。
「なんとなく」というのは、その当時こうしてブログや日記に記録を残していたわけではないし、将来自己評価する時期が来るなんて思ってもみなかったから、テキトーに考えていたのです。
その当時は、あまり「10年後どうしよう」とか「老後のオレはどのように生きるのだろう」なんてことは考えていませんでしたね。
ひとつひとつの案件、そして担当者を「どのように攻略するか」ばかり考えていました。
そして「今のままの自分をキープし続けられれば、10年後も食っていられるだろ」と思っていましたね。なんとなくですけどね。
10年前の僕は、デザイナーになって20年、フリーランスになって10年でしたから「なんだかんだと紆余曲折はあったけれども、概ね間違ってなさそうだぞ」みたいなことを考えていました。
そこからさらに10年経ったのが今。今度は「なんとなく」ではなく、しっかりと過去を振り返りたくなり、そしてその先を考えたくなり、こうしてブログに記録し始めているのです。
10年前の僕(40代半ばくらいですね)にとって「10年後」って、気が遠くなるほど先のことだったように思います。
でも「大丈夫。オレには過去の自分が付いてる、なんとかなる」と思ってたのですよね。
はい、合ってました。
いっときメインクライアントの業務委託契約を切られて、バタついたことがあったけど、いろんな人が入れ替わり立ち替わり案件を持ってきてくれました。
パニック障害を発症して、健康を害したこともあったけど、それをきっかけに朝型になったり、一夜にしてタバコが吸えなくなり、ひと皮剥けた感じに仕上がりました。
なんとかなったし、10年間食えました。
と、そんなことを考えつつ「また10年後に、今考えてることの答え合わせをすることになるんだろうな」と思っているのですよ。
「10年後に振り返って、今の自分にたくさんの楽しい報告をしたいなあ」と思っているのです。
「過去の自分」がちょっと頼りなくなってきた
前項で書いたように、10年前の僕は「大丈夫。オレには過去の自分が付いてる」と思っていたのですが、50代半ばになった今、その「過去の自分」がちょっと頼りなくなってきているのです。
「過去の自分」は、ココロもカラダも無理が利く自分なのですよ。
それが今は、あまり無理しちゃいけない「自分」になっちゃってるのですよ。
ストレスをかけすぎて、パニック障害を発症したこともありますしね。
加齢からくる更年期障害もあるし、ヒザが痛くなってて、通しで10km走れなくなっちゃってたり、夜中に目が覚めることも増えてるのです。
「とりあえず、今はスカッと休むときだな」と思っています。
必ず10年後に「あんとき、仕事全部止めてガッチリ休んで正解だったぞ」と今の僕に報告できるようにしたいと思っているのです。
今の僕は、10年前とは違って「今のままの自分をキープし続けられれば、10年後も食っていられるだろ」とは思っていないのですよ。
このブログの至るところで書いていますが「いったんゼロ地点を作る」フェーズだと思っているのです。
(参考:デザイナーにとっての、セミリタイアと引退)
今は「今のことだけ」でいいんじゃない
冒頭で、10年前の自分は「10年後のことなんか考えてなくて、ひとつひとつの案件を、どのように攻略するかばかり考えていた」と書きましたが、結局順繰りなんですよね。
10年後の僕(今の僕)も、結局今のことばかり考えているのです。
もちろんそれはバランスの問題で、10年後20年後、そして人生の最後のことを考えないわけではありません。
でも、一番強く考えるのは「今のこと」だし「次は何しよう」なのですよね。
どこかしらに「今やりたいこと」の点をつないでいったら、10年後に最適解が得られるに違いないと思ってるフシがありますね。
僕は今、セミリタイア生活を始めています。新規案件の受注も断っていて、もうすぐ無職になります。
前項で触れた「いったんゼロ地点を作る」が少しずつ実現に向かっているのです。
当然、収入も減りますし「このまま、老後破産したらどうしよう?」という不安もあります。
(参考:セミリタイア・ブルー。収入が月20万円を下回りました)
でも、20年も30年も先のことを考えて、今やりたいことを我慢するのは本末転倒だと思うのですよ。とにかく、いったん我慢グセも捨て去りたいのです。
「今、楽しいこと」「今、やりたいこと」を諦めたくないのですよ。
この記事「10年前の自分との答え合わせ」から書き始めました。
もう一度そこに戻るとすると「概ね正解だったけど、もうちょっと自分勝手でも良かったんじゃない?」なのろうと思うのですよ。
「なりたい自分」になろうとするチカラが少し弱かったように思います。
そこは、仕事仲間に対する遠慮だったりとか、そのとき感じていた「安定」を手放したくない気持ちだったりとかが影響していたのですが、もうちょっとワガママに振る舞う余地はあったと思いますね。
当然、僕のことを嫌う人の数は増えたのでしょうが、10年後の僕からのアドバイスは「そんなもん関係ない」です。
こういうのって、正解がないのですよ。というか、正解を求める意味がないのですよね。
「なりたい自分」とか「場の居心地」を求めて、振る舞い方を微調整や修正することはあるかもしれませんが、基本「自分が好きなようにする」ことだと思いますよね。
なので、次の10年は「自分の好きなようにする」を少し強めにしていこうと思っています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。