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休む。止まる。寝る。そしてまた好きなものを作る

2019.08.27

こんにちは、萩ドットライフ()です。

定期的に「休息の大切さ」を感じます。以前は、疲れているときや折れそうなときに「渇望を」感じていたのですが、セミリタイアして以降、調子のいいときに「充足を」感じるようになっているのです。ちゃんと休まないと「人生100年」持ちませんよね。

「高みを目指す」のは、疲れる

僕が30年来生業としているデザインの分野において、ずっと「質の高いものを作る」「ハードルを設定して、それを超える」ようなことを続けていたように思います。

ときには、その考え方が日常生活にまで及んでいました。

「職業人なのだから、高みを目指すのは当たり前」だと思っていたのですよ。
今でも「間違ってる」などとは思っていません。

ただ、自分の中で勝ち負けを設定して、勝ち続けようとすると、バテるのですよ。
そうなると、好きで始めたはずのデザインの仕事が、好きではなくなるのです。

長らく「クライアントや広告代理店からの評価が高まる」「次々と新規案件を依頼される」ことが、快楽でした。
それが楽しくて、ちょっとした空き時間を使っては、新ワザの獲得や、新しい考え方に接することに貪欲に取り組んできたつもりではあります。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと

過去の自分を振り返ってみて「若い頃は、それでいいんだよ。だって楽しいんだもん」とは、思います。
でも反面「もう少し、休息についてしっかりと考えていたら、違った現在があったかな?」とも思うのです。

もうその頃に戻ることは不可能なので、ぼんやりと「オレ、休むの下手くそだったな」と考えている程度ではありますが…。

人生100年時代、休息の重要性

僕の場合、50代半ばで、

  • 「バテた。いったん仕事辞めて長期休暇取る」
  • 「これを機にセミリタイア生活を始めるから、そんなに仕事ガシガシやらない」

と決め、とにかく休息を取ることに集中するフェーズを作ることにしたのですが、それは「人生100年時代」を真に受けているからなんですね。

おそらく、サラリーマンの方と同じように「60歳定年」と考えれば、このままあと5年程度走り続けたと思いますが「たぶん、75歳とか80歳くらいまで働き続けるんだろうな」と思い始めてから「休まなきゃ無理だ」と思うようになったのです。

「ここで、いったんリセットして、もうワンゲームできるじゃん」と思っているから、準備行動としての休息が必要なのですね。

前項で「高みを目指すと疲れる」ということを書きましたが、今度は少し「高みを目指さない」ことをしようと思っているのです。
そのへんのことは、このブログ内の至るところで「生産的な趣味」という言葉を使って語っています。
これは「セミリタイアしよう」と考え始めたときから、一貫して思い続けていることなのです。

ここで「勝ち負け」を持ち出すわけではありませんが、オールアウトしなければ「負け」ではないのですよ。
途中で休息を設けたり、意図的に止まることは、アリなのです。

オールアウト(英語表記)all-out(デジタル大辞泉の解説)
《全力で、の意》疲れきってへとへとになること。運動して、疲労困ぱいすること。
[補説]特に、筋力トレーニングで、鍛えたい部位の筋肉に負荷をかけ続け、力を出し切った状態にすることをいう。このトレーニングによって効率よく筋肉量や筋力がアップするとされる。
出典:オールアウトとは – コトバンク(2019年8月27日現在)

これからは「休む」「止まる」を大切に、かつ「ゆっくりと動く」「距離をとって観察する」のような動作を意図的に生活の中に持ち込みたいと思っています。

とりあえず寝る

そして「寝る」、とにかく「寝る」ことですよね。
睡眠の大切さは、いろんなところで見聞きするようになっていますので、周知のところだと思います。

睡眠が上手くいくと、アタマがクリアになりますし、物事の整理が捗るのですよ。
僕もこのブログ内で何度か、睡眠について触れています。

もうすでに、過去に投稿した記事で触れているはずですが、僕はセミリタイア生活を始めてから、睡眠の質が向上しています。
以前は「心身ともにどっぷり疲れたら、カラダとアタマが休息を求める。だからしっかりと眠れるだろう」と思っていましたが、どうやら違うようなのですよ。

興奮は睡眠の妨げになるんですね。

セミリタイア生活に入って、仕事量が減少し、暇な時間が増えた今のほうが、夜ぐっすりと眠れます。
夜中にトイレに起きるのは加齢のせいだろうと思っていたのですが、調子のいいときにはノンストップで9時間くらい寝てますね。

「作る」は続ける

以前、どこかで「人生二毛作」という言葉を拾ってきて、ずっと「そうだな。人生二毛作だな」と思っているのです。

僕が社会人になった30年前のように、大学を出てから定年まで1本調子で働き続け、あとは余生ってイメージ、もう無理なんですよね。
どこかで区切りを作って仕切り直さないと持たないのですよ。

で、二作目は一作目の失敗をリカバリーする回として使うといいと思うのです。

僕の場合、以前『「作る人」で居続けよう』という記事を投稿しているように、なにかしらものを作ることが好きだし飽きないので、これは続けるつもりです。

ただ評価基準は少しズラしたほうがいいように思っています。
冒頭に書いたように「高みを目指す」とか「メリット・デメリット」みたいな考え方を少し弱めて「好きなことを、好きなように」を意識しようと思っています。

「趣味に寄る」ってことですね。

最初から「クオリティの高いもの」を目指すよりも、「ショボくてもいいから、まずカタチに」アウトプットのハードルを下げて「好きなもの」をどんどんカタチにしていく。
その中から何かしら、モノになってくれれば、それが楽しい。

そんな感じの「二作目」にしたいのです。
それは、一作目よりも「よく休みながら」「しばしば立ち止まって」「たっぷりと睡眠を確保しながら」続ける活動になろうかと思います。

このブログもその一環なのですが、お金になるかどうかは、あとからの判断でいいのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。