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山口県萩市への移住を果たした2020年。ブログ更新も継続中

2020.12.31

こんにちは、萩ドットライフ()です。

大晦日です。ブログを開設して3度めの年越しですが、もう「ブログ投稿、継続中です」ってアピールするのがこっ恥ずかしくなるくらい習慣化しています。この1年を振り返ってみると「世間はコロナ禍。オレは山口県萩市への移住」に尽きると思います。

人々の動きが止まった1年

おそらく「気がついたら、何もできないまま過ぎていった1年だったよね」という感想を持つ人が多いんじゃないでしょうかね。

あとから振り返って「あの年は大変だった」っていう年って、僕らにしてみれば昭和天皇が崩御された1989年とか、阪神淡路大震災の1995年とか、東日本大震災の2011年などを思い出します。

ですが、ほぼ1年間を通して「大変」で、世界中の人々が同じ感想を持っているだろうことが予測され、まだ収束の見込みがつかないなんて、僕の生涯ではじめての体験です。

この年末年始もさかんに「STAY HOME」が呼びかけられています。

僕がまだサラリーマンだった四半世紀以上前。週末のたびに何もしないうちに休みが終わっていく焦燥感を何度も味わっていました。
その感覚に近いのかな? などと思っています。

でも、そんな環境下でもしっかりと来たるべきときに備えて準備をしている人はいるんですよね。

「時間ができたらオレ、プログラミングの学習するんだ」とか「英会話やりたいんだけど、仕事が忙しくて暇がないんだよね」って言ってた方はおられませんか?

おそらく、時間ができたし、暇になりましたよね。
多くの人がリモートワーク(テレワーク)になり、通勤もしなくていいようになりましたよね。

その人たちは、プログラミングや英会話をやってるんでしょうかね?

奇しくも僕は、自分の環境を大きく変えるタイミングでした。

一昨年(2018年)の年末に1年間の振り返りとして投稿したのが「萩市に移住することに決め、ブログを書き始めた2018年」でした。

その後、2019年のうちに無職になってセミリタイア生活を初め、ようやく萩市への移住が叶ったのが2020年でした。
ちょうど、初動とコロナ化が、ほぼ同時にやってきたような感じでしたね。

行動を制限されて予定を進めにくかったようでもあり、得体のしれない焦燥感を感じつつ、とにかくがむしゃらに物事を進めていったような、どちらともつかない感覚を持っています。

とにかく先へ

2020年の年明け時にはまだ誰も新型コロナウィルスに関して言及してませんでしたよね。
もしかすると医学関係者の間では話題になってたのかもしれませんけど、僕たちが耳にし始めたのは、1月の終わり頃だったように覚えています。

国内で初めての感染者が出たものの、まだそんな大騒ぎにはなってませんでしたよね。

当時、東京と山口県萩市の二拠点生活をしていた僕は、萩市への完全移住を進めるべく、萩市での住まい探しをしている真っ最中だったのですよ。
交通機関が混み合う1月の移動は避け、2月の初めころに萩に移動し、かねてより候補にしていた家を内覧、その家を購入することに決めました。

(参考:他人の趣味と向き合う ― 萩市の古民家を買うことにしました

その後、また東京に移動した2月半ばごろからにわかに周囲が騒がしくなってきます。
2月の終わりには、全国の学校に対して臨時休校が要請されましたよね。

ちょうどその頃、世界株式も下落を初めます。
世界的な経済の低迷を予測した投資家たちが、株を売り始めたんですね。

結局、世界株式は3月の終わり頃に底を打って、そこから反発を始めるんですけどね…。
VT(バンガード・トータル・ワールド・ストックETF)のチャートを見ると、3月23日が底値でしたね。

そんな中、僕は東京のマンションを売却することに決めました。

萩市に移住することは決めていたので、退去することは決めていたのですが、賃貸で運用するか売却するかは決めかねていたのですよ。
株の暴落を目の当たりにして「半年後は不動産価格かも、ならば早めに」という考えが起こり、それが売却を決める要因になりましたね。
(参考:東京のマンションを売ることにしました

とはいえ、その後「緊急事態宣言」が出され、みんなの動きが止まり「こりゃマズい時期に売り出しちゃったな」と思ったことも確かです。
仲介業者から「しばらくご案内できません」と申し出のあった時期もありましたしね…。

そんな中、無事に買い手が見つかったことは、本当に僥倖だと思っています。
(参考:東京のマンションに買い手がつきました

正直、こんなにバタバタと事を進める予定ではなかったのですよ。
もうしばらく二拠点生活を続けながら「まずは、萩に買った家を快適に住めるようにしよう」「東京のマンションを運用については、それから考えよう」と考えていたのです。

コロナ禍によって移動が制限されたことと、先の経済見通しが立たなくなったことで、背中を押されたことは否めません。

萩市での生活が始まりました

東京のマンションに買い手が見つかったことで、萩の家の設備の更新と引越しを並行して進める必要ができました。
その間も、周囲の状況を見ながらも東京と萩を行ったり来たりしながら、東京ではマンション売却のための打ち合わせや事務処理、引越し準備を進め、萩では買った家の登記のことやら、設備の更新についての打ち合わせを繰り返していました。

「コロナ禍で、みんなが動きを止めている」と言ってる時期に、僕はなんだかバタバタしてたんですよね。

結局、真夏の暑い盛りに、長年暮らしたマンションの周囲や共用施設の写真を撮ったり、顔なじみになった受付カウンターの方々に挨拶をすることもなく、逃げるように退去しました。もう、暑くてそれどころではなかったのですよ。

汗でビシャビシャになったTシャツのまま駅へ行き、駅のトイレで涼んで、そこで着替えましたもん。

その日に投稿した「きょう僕は、山口県萩市に移住します」は、朝のうちに書いた記事ですね。

なんとなく感傷的になりつつ、東京でくらした38年を振り返るような内容になっています。
まだエアコンがついているから、余裕があるのです。

その後、猛暑と戦いながら引っ越し作業を済ませて羽田空港に向かうことになるのですが、その顛末は「15年間暮らした、東京のマンションを退去しました」に書き残しています。

結論、真夏に引っ越しなんかするもんじゃありません。

そうして2020年8月17日をもって、僕は38年ぶりに萩市民になりました。

これからずっと「コロナの年の真夏に帰って来たんだよ」って言い続けることになることでしょう。

その後、設備工事が終わるのを待って買った家に入居したのが9月1日。
(参考:ようやく古民家に入居できたと思ったら、台風が来てて眠れない

その後、草ぼうぼうだった庭の草むしりをしたり、生活の足を確保すべく自動車学校に通ったりしながら、少しずつ萩での生活を作りつつあります。
(参考:50代半ばにして、自動車運転免許を取りました

コロナ禍で世界のみんなが動きを止めざるを得なかった年ですが、僕はこれまで口先だけで言ってた「萩に移住するよ」とか「仕事やめてセミリタイアする」をバタバタと実行する1年になってしまいました。

予定通りの行動だったようにも思うし、少し雰囲気の変わった世間から追い立てられるように動き続けた1年だったようにも思うのです。
とりあえず「オレ、口だけで何にもやらねえな」という状況からは逃れることができました。

ブログ更新も継続しています。
もう完全に習慣化して「どうですか! 継続していますよ」ってアピールするような感じでもなくなってきましたね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。